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歴史系総合

1 名前:名無しさん 投稿日:2005/08/22(月) 20:54:42 ID:F8Roclbo
半島の歴史について語りましょう。

前スレ
【韓国・朝鮮の歴史】
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1054380199

91 名前:名無しさん 投稿日:2008/06/22(日) 16:54:34 ID:xzJyKsSA
昔集めた資料から。

 園田俊介: 「北魏時代の楽浪郡と楽浪王氏」、『中央大学アジア史研究』第
 31号、1-32頁、2007年

ググったところ、著者は津島市立図書館副館長らしい。

楽浪郡で王氏と言えば、文献にも出土物にもよく出てくる有力な一族だが、こ
こでは、高句麗に滅ぼされた後の僑郡を扱っている。まず、史料の記述が断片
的な楽浪僑郡の変遷を王氏のいくつかの墓誌を使って補完し、次に北魏時代の
王氏の婚姻関係を整理している。しかし、私にとっては、議論の出発点からし
て初耳だったりする。

* 楽浪郡は313年頃に半島で消滅したあとも、朝陽からはじまって、北京、遼
 寧省義県付近、河北省満城県付近の順で移転し、最終的に廃止されたのは北
 斉時代の556年。
* 北魏の文明馮后の母や宇文泰の母が楽浪王氏であり、半島の楽浪が滅亡した
 後も (というか滅亡後こそ) 有力な一族だった。

北魏の王温墓誌 (532) で主張される楽浪王氏の出自は、周文王、太子晋を族
祖とし、太原王氏の王覇、王沈を中間の祖先となっている。楽浪への移住は、
313年 (正しくは314年) に石勒の禍にあって逃げたとあり、年代的にはかなり
下っている。というか、ちょうど楽浪郡が高句麗に滅ぼされた頃。園田氏は附
会の可能性を指摘している。

楽浪王氏といえば思い浮かぶのは、『後漢書』循吏列伝の王景にある記述。先
祖の王仲が前漢文帝の時代に琅邪郡不其県から楽浪に移ったというもの。王温
墓誌はこれとは異なる。園田氏もこれには触れていない。楽浪王氏に複数の系
統があるのか、単に後世に先祖を偽ったのかわからない。

註にもあるように、もうひとつ思い浮かぶのは『新撰姓氏録』の記述。右京諸
蕃上の山田宿禰が周霊王の太子晋を祖とし、これとは別に、河内国諸蕃の山田
宿禰が魏の司空王昶を祖とある。王昶は晋の子孫を称するので、この二つは実
は同じ伝承と言える。王温墓誌の記述と接点があるようで興味深い。

92 名前:鄭聲之 投稿日:2008/06/22(日) 22:49:49 ID:NWIWUO5Q
>>91
お、これは興味深いですねー。さっそく保存しますた

楽浪王氏ってのは山東王氏(つまり戦国斉の田氏の分家)から分出したんでしょうが
なぜ太子晋に付会する必要があったのか、ちょっと謎ですね

93 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

94 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/21(月) 08:32:13 ID:VTvIpJYs
そろそろこのスレも放棄した方が良い様に思うんですが、どうでしょうか?

王公族の英語での呼び方について前から気になっていて、英語の資料を探して
いた。まず外務省に目をつけたが収穫なし。最近、朝鮮総督府
(Government-General of Chôsen) が総監府時代から出している英語の年次報告
が使えることに気付いた。

Annual Report on Reforms and Progress in Chosen (Korea)

1910-11年版の Appendix A に 王公族の根拠となった併合条約が載っている。

Article III. His Majesty the Emperor of Japan will accord to Their
Majesties the Emperor and ex-Emperor and His Imperial Highness the
Crown Prince of Korea and Their Consorts and Heirs such titles,
dignity and honour as are appropriate to Their respective ranks, and
sufficient annual grants will be made for the maintenance of such
titles, dignity and honour.

Article IV. His Majesty the Emperor of Japan will also accord
appropriate honour and treatment to the members of the Imperial House
of Korea and their heirs, other than those mentioned in the preceding
Article, and the funds necessary for the maintenance of such honour
and treatment will be granted.

さらに、八月二十九日付けの寺内正毅総監の諭告が Appendix E:
Proclamation of Annexation by Resident-General (Issued on August 29,
1910.) として載っている。関連する部分は以下の通り。

Hereafter the Emperor of Korea shall be known by the title of His
Imperial Highness Yi Wang (Prince Yi), and the Crown Prince shall be
called Prince Heir, so that the hereditary title shall endure forever,
while the Ex-Emperor shall be given the title of His Imperial Highness
shall receive the treatment of Princes of the Blood and Their annual
grants shall be as munificient and the same in amount as heretofore.

munificient は munificence の誤りと思われる。アジア歴史資料センターで拾っ
た原文は以下の通り。

自今前韓国ノ皇帝陛下ハ昌徳宮李王殿下ト称セラレ皇太子ハ王世子トナリテ後
嗣長ヘニ相継承シ萬世無窮タルヘク太皇帝陛下ハ徳寿宮李太王殿下ト称セラレ
竝ニ皇族ノ礼遇ヲ賜ハリ其ノ秩俸ノ豊厚ナル皇位ニ在スノ時ト異ルナカルヘシ

見比べてみると、「昌徳宮」に対応する文言が英文にないなど、あまり忠実な
訳ではない。条約じゃないからいい加減なのかもしれない。注目すべきは、併
合後の敬称が His Imperial Highness となっていること。漢語だと皇帝から王
へ明白な格下げだけど、英文では、Majesty から Highness へと、君主じゃな
くなっただけで、Imperial が維持されている。

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