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歴史系総合

1 名前:名無しさん 投稿日:2005/08/22(月) 20:54:42 ID:F8Roclbo
半島の歴史について語りましょう。

前スレ
【韓国・朝鮮の歴史】
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1054380199

50 名前:名無しさん 投稿日:2007/04/05(木) 22:27:33 ID:qgkRBIvo
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51 名前:デッドテック ★ 投稿日:2007/04/06(金) 02:46:01 ID:???
【悪質】荒し処理報告【連投】
http://www.soutokufu.com/cgi-bin/hogehoge/test/read.cgi/management/1175782617/
上記スレの標本として、>>49>>50のレスは保存いたします。。。。。。。。

52 名前:名無しさん 投稿日:2007/04/06(金) 15:04:58 ID:P/gdgEJc
何これ?

53 名前:娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA 投稿日:2007/04/13(金) 00:11:31 ID:MrlNL/Fs
 このスレは良スレニダから、何とか守ってほすぃニダが…。

54 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

55 名前:名無しさん 投稿日:2007/05/20(日) 11:43:16 ID:Qs5X53rQ
test

56 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

57 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/03(月) 20:20:06 ID:4DywIhFE
5ヶ月放置しても落ちない総督府は素晴らしい。スパマ対策には感謝です。

>>45で見た毛谷村六助の話。
 金京欄: 「韓国の「論介」説話と浄瑠璃『大功艶書合』及び改作について」、
 『演劇研究センター紀要』V、39-45頁、2005年1月
という論文を読んだ。後で調べると、以前の論文を合わせて、『日・韓語り物
文芸における女性像と担い手たち』というD論の一部として公開されている。
ttp://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/5281

正直言って、何を根拠に何を主張しているのか、論理展開がわからない。「演
劇学」なるものがどういう方法論を持っているのか知らないが、日本と韓国の
文学を比較してウダウダ言っているだけなら問題ないし、漏れも評価しようが
ないから、華麗にスルーする。ところが、金は歴史について2つ重大な主張をし
ている:

* 毛谷村六助が論介に殺されたのは史実
* 浄瑠璃/歌舞伎の作者はその話を知っていて劇に組み込んだ

そうなると、何を根拠にしているのか気になるが、肝心の部分がぼやけている。
金の論理を追っていくと、毛谷村六助が論介に殺されたという前提から出発し
て、両国の文学を比較、似ている部分があれば韓国の説話の影響だと主張し、
毛谷村六助が論介に殺されたのは史実だと結論付けている。トートロジー。2
点目についても、『大功艶書合』の作者が「大陸事情に非常に詳しい人物」だ
からで片付けている。いくら「演劇学」が史学じゃないといっても、これはひ
どいのではないか。

史学がらみの主張をしているけど、金がやっているのは「文学を比較してウダ
ウダ言う」ことだけ。それ以外の作業は、事典や他人の著作を引くだけ。でも、
本当はやるべきことはいろいろある。

絶対欠かせない基礎作業は、現在伝わる毛谷村六助 (貴田孫兵衛) の話から、
史実と後世の脚色を分離すること。そのために、浄瑠璃や歌舞伎の台本や講談
本の系統関係を明らかしなければならない。特に、『豊臣鎮西軍記』が、撰者
不明として書誌学的な検討なしに放置されているのは問題。

もう一つは、槻木村に残るという毛谷村六助の史料をちゃんと分析すること。
これらは、江戸時代半ばに毛谷村六助が脚光を浴びてからでっち上げられた可
能性があると思う。水野が引いている
 中村彰彦: 「歴史グルメほど、ひっかかる「偽書」誕生の心理学」、『諸君』
 34 (6) 臨時増刊号、78-88頁、2002年5月
は、「大分県山国町に墓があることから見て無事生還した可能性が高い。」と
言っている。でも、崔官によれば、その「木田孫兵衛墓」からは「明治十四年
甲辰四日」と読み取れると言う。これを怪しまない神経が理解できない。

『毛谷村六助畧縁起』は、「享保元 (1716年) 丙申七月写之」と記されている
という。一応、日付の上では天明6 (1786) 年の『彦山権現誓助剣』の初演より
も古いことになるが、怪しさ満点。ちなみに、崔官が写真と写しを載せている
が、写真と比べると写しは明らかに一部だ。全文検討すればボロが出るかもし
れない。

58 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

59 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

60 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

61 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/08(土) 21:23:11 ID:0qG0ZrOE
>>40で触れた王仁ネタ。枚方の「伝王仁墓」の話。「伝王仁墓」も胡散臭いも
ので、1731年に京都の儒者並河誠所が、「オニ墓」と呼ばれていた自然石を王
仁の墓だと言い出したのが始まりという。今回読んだのはこれ:

 後藤耕二: 「あとがきにかえて−−伝王仁墓を介した大韓民国全羅南道霊岩
 郡との友好都市問題をめぐって」『在日朝鮮人の歴史』、317-328頁、1994年

枚方市教育委員会から出版。著者は社会教育課所属。行政に関わる人間という
こともあってか、問題意識がやたらに現代的。その論理は非常に単純:

* 日帝は悪
* 王仁を顕彰したのは日帝
* ゆえに王仁を顕彰するのは悪

ところが、朝鮮人が王仁を顕彰していることには批判を加えたくない。おかげ
で、批判が鈍り、結論も「よく調べて考えましょう」という、ありきたりで内
容のないものとなっている。もっとも、左巻きの主張は入れたかったようで、

 アジアの隣国大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国との新しい関係を築いてい
 くためには歴史認識を改め、強制労働・連行、従軍慰安婦問題などを明らか
 にし、植民地支配の責任清算を積極的に進めていかなければならない時期に
 きているといえます。

などの演説が不自然な形で挿入されている。これが書かれたのは1993年で、出
版されたのが村山内閣の頃。その後枚方市は正常化したのだろうか?

ちょっと脱線するけど、朝鮮人、特に在日と、古代の帰化人を同一視する言説
がどういう経緯で生まれたのか気になる。当たり前のように思われているけど、
よく考えたらそうでもない。日本人と朝鮮人を区別するとき、帰化人を現代日
本人の祖先の一部として日本人側に入れてもおかしくない。複数になると自他
の境界なんていくらでも恣意的に設定できる。

政治的な主張に目をつぶれば、便利な資料ではある。伝王仁墓をめぐる明治以
降の動きを詳細に追っているのは、知る限りこれぐらい。関連する新聞記事を
集めているのもうれしい。だた、個々の記事の出所をもうちょっと明確に記載
してほしい。ついでに言えば、上野公園の博士王仁碑の設立経緯についてもこ
れぐらいの情報がほしい。

新聞記事で言えば、明治期の「博士王仁墓地」拡張運動がらみで、「仁徳天皇
の師伝となった」という記述がある。日本書紀によれば、王仁は菟道稚郎子の
師となったはずなのに。これは一時的な勘違いだったようで、その後の記事に
は見えない。

ちなみに『枚方市史』の第2巻と別巻も少しだけ王仁を取り上げている。別巻
(1995) は、後藤と同じ筆致で、伝王仁墓に根拠がないことを述べている。第2
巻 (1972) は、元の「オニ墓」という伝承を含めて由来を説明しているが、別
巻のように根拠薄弱さを特段強調していない。

62 名前:鄭聲之 投稿日:2007/09/09(日) 01:19:33 ID:j271kPXY
>上野公園の博士王仁碑の設立経緯

上野公園にそんなのあったっけ?
おれすぐ近くの日暮里に住んでてよくいくけど知らないよ?

63 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/10(月) 09:44:26 ID:7TwaYy.A
>62

> >上野公園の博士王仁碑の設立経緯
>
> 上野公園にそんなのあったっけ?
> おれすぐ近くの日暮里に住んでてよくいくけど知らないよ?

これだね
ttp://www.blu.m-net.ne.jp/~tashima/c2006.html
上野公園にある「王仁(わに)博士碑」を訪ねて

64 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

65 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/10(月) 22:14:25 ID:S2Pq3Q9Y
私も上野公園には一度行ったことがあるけど、王仁の碑は確認していません。

 金秉仁: 「王仁의 「지역 영웅화」 과정에 대한 문헌사적 검토」
 『韓國史硏究』115、177-205頁、2001年

「王仁の「地域英雄化」過程に対する文献史的検討」は、水野と大石が引いて
いる論文。タイトルから漢字ハングル交じりかと思っていたのに、入手してみ
たらほとんどハングルで泣いた。hwp のファイルがネット上に落ちていたので、
そっちを見ながらなんとか読む。

水野は、「「王仁」の記録が韓国で初めて現れるのは韓致淵 (1765〜1814年)
の『海東繹史』である」とし、その記述は「寺島良安の『和漢三才図会』とい
う史書の記述をそのまま書き写したにすぎない」とする。また、「王仁が霊巌
で生まれたという記述が現れる史料は李秉延『朝鮮寰輿勝覧』(1922〜37年) で
ある (同時期に刊行された『霊巌郡誌』などの史料には「王仁」について一切
言及がない)」と、特に文献を引かずに述べている。水野はこのすぐ後に金秉仁
の論文を紹介しているが、実は前の記述も金論文に依ることが確認できた。

『海東繹史』の記述が『和漢三才図会』の引き写しなのはいいとして、それが
初出という主張は、どの程度本格的に文献を調査した結論なのか分からない。
だいたい、水野は続編の『韓vs日 「偽史ワールド」』の38頁で、

 1655年に従事官として日本に赴いた南龍翼 (1628〜92) の『扶桑録』には
 「応神天皇の代に百済による王仁の派遣があった」(中略) などと書かれてい
 る。言うまでもなく、これは『日本書紀』の記述に沿ったものである。

と書いている。これも誰かの受け売りだろうが、参考文献を明記していないの
で分からない。これが本当なら、金秉仁の主張は誤りである。議論の大勢には
影響ないけど。水野は続編を書いていて矛盾に気づかなかったのだろうか。

とりあえず南龍翼 (壺谷) の『扶桑録』を確認してみた。『大系朝鮮通信使』
第3巻に東洋文庫蔵本の影印が収録されている。これは『海行ハ載』に収めら
れたもので、活字。ざっと斜め読みしてみたが王仁に関する記述は見当たらな
かった。見落としている可能性も低くはないが、少なくとも詳細な記述はない
だろう。ただし、同じ南龍翼による『聞見別録』にはあった。「倭皇代序」と
いう項目の、「応神皇」の部分に「乙巳百濟遣王子王仁」とある。王仁を王子
と勘違いしてるっぽい。こんな感じの記述は『海東諸国紀』にもあったような
気がしたので調べてみら、応神天皇の部分に、「十五年甲辰百濟送書籍十六年
乙巳百濟王太子来」とあった。王仁に関するのは15年の条だが、王仁の名前は
出てこないが、申叔舟が参考にした書籍の中に王仁の名前が出てきた可能性は
高そう。南龍翼は、確実に王仁の名前が出てくる資料を参考にしたが、適当に
編集したために15年と16年の条を混同したのだろう。

金論文にあまり触れていない気がするが、今日はここまで。

66 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

67 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/19(水) 15:47:35 ID:oFSJfKnA
>>62-65
行ってきました、上野公園。

確かにありました。目立たないけどすぐ見つかった。
漢文なのでよくわからないけど
皇紀二千五百九十九年に、なんとか伯爵が中心になって建立したらしい。
日本人に混じって「朝鮮代表」趙なんとか(趙洛崖?)ってのもでっかく署名してる。
その隣の「副碑」は翌年の二千六百年に林銑十郎が立てた(?のか?)
なんで二つあるのかもわからないけどそれ以上に
なんで「上野」なのかはもっとわからない。
全文ちゃんと解読すれば説明あるのかも知らんけど。

68 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

69 名前:名無しさん 投稿日:2007/12/23(日) 23:56:38 ID:j3zWdwdE
久しぶりに投稿。>>24の咬住 (李天桂) の解釈に補足。ネタ元はこれ:

Hoong Teik Toh (卓鴻澤): Materials for a Genealogy of the Niohuru
Clan: With Introductory Remarks on Manchu Onomastics (Wiesbaden:
Harrassowitz Verlag, 2005).

表題の通り『八旗満洲鈕祜祿氏通譜』の紹介と、満洲語の人名に関するちょっ
とした論考。後者は長い註釈のおかげで有り得ないぐらい読みにくい。

満洲語の文献に出てくる満洲人の人名には、支那語っぽいけど何だかよく分か
らないものがある。これに対する Hoong の主張は次の通り。支那語っぽい名
前は、先に漢字があって、それを満洲文字で転写したと思われがちだけど、そ
うとは限らないから注意が必要。それを解明するには、満洲人だけでなく、契
丹、女真、ウイグル、モンゴルの名前も参考になる。ちょっと乱暴な感じがす
るけど、この見方は新鮮。

例えば、宗室の Hooge の -ge は、歴史のあるサフィックスで、金末の契丹人
で高麗とも関係のある耶律留哥の哥と同じだと言う。元々は、トルコ・モンゴ
ル系のサフィックスで愛称を作る -ka が起源だとする。唐の玄宗が息子の李
琰に三哥と呼ばれたという記録もあるそうだ。

問題の咬住だが、-ju も古くからあるサフィックスらしく、契丹人の名前にも
見える。-ju の意味については特に述べていない。-ge 付きの名前には、対応
する -ju 付きの名前が確認できる他、満洲人の名前については、-tai, -tu
とも交代例が見られるという。「咬」字がどういう意味か、そもそも意味があ
るのか分からないままだが、女真の命名習慣に基づく名前という点は問題ない
だろう。

70 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

71 名前:名無しさん 投稿日:2008/02/17(日) 16:29:43 ID:RMeBQEPU
クマーのスレが「大きすぎて見えない」になってますが
これどういうことんまんですかね?

72 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

73 名前:デッドテック ★ 投稿日:2008/02/18(月) 21:09:01 ID:???
>>71
容量が大きいのと、業者広告多可でログが詰まっているのだと思います。。。。。。
近い内に過去ログ倉庫にHTML化して移動させて見ます。。。。。。。

74 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

75 名前:名無しさん 投稿日:2008/02/19(火) 09:09:26 ID:z/RwDx5I
>>73
500KB超えているのも原因の一つではないでしょうか。

76 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

77 名前:デッドテック ★ 投稿日:2008/02/19(火) 20:48:32 ID:???
>>75
かもしれません。。。。。

78 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

79 名前:印藤和寛 投稿日:2008/03/16(日) 14:33:37 ID:1QyxAYTY
最近知って参考にさせていただいています。色々教えられることが多くありがとうございます。
ちょっと気付いたので書き込みます。

>16 名前:名無しさん 投稿日:2005/11/05(土) 23:08:06 ID:KFx6UIVE
>三田渡をなぜか sambat gei と写している。訳編は242頁の注釈で
> 薩木巴徳盖: 満文音訳、史裁三田渡
>としている。碑文は san tiyen du とあるし、内国史院档の写しも san tiyen
>du だ。(ただし点が見えないので tiyan ととれる。)どうしてこんな妙な音訳
>になったのか謎だ。

batは固有朝鮮語で「はたけ、field」、gaeは同様に「河川の海水潮汐限界点」の意味ですから
元来sambat-gaeと呼ばれていた所を漢字地名に直して三田渡としたのでしょう。
鉄道敷設時に、京釜線の途中、支線との分岐点がhanbat(広いはたけ)と呼ばれていたのを、
漢字では大田としたのは有名ですね。

80 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

81 名前:名無しさん 投稿日:2008/03/30(日) 21:41:46 ID:CDEcoTng
test

82 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

83 名前:名無しさん 投稿日:2008/04/07(月) 23:59:44 ID:HZBb5WSs
>>79
ありがとうございます。迂闊でした。固有語の可能性は当然考えるべきでした。
「朝鮮史やるのに朝鮮語は必要ない」と普段豪語していても、こういう時困り
ますね。

ちなみに、gei 「盖」の部分を読み間違っていないかと、もう一度内国史院档
を調べてみましたが、gei だと思います。手書きで判別しにくく、男性の g
か女性の g か微妙ですが、g-a なら g-e とちがって少し離して書くはずなの
で。


あとは雑多なネタ。

>>69の Hoong は Toh の間違い。台湾の人。漢字表記は後で調べて出てきたも
ので、本には載っていない。最初名前の構造がわからず Hoong と呼んでいたら
そのまま間違えた。

-ju についてもう一つ言えば、「李満住」をどう解釈するか問題。manju が清
初以前から使われていた例として引かれることがあるけど。Toh の説が正しい
なら、「李満住」と manju は偶然の一致の可能性がある。

東京外大が論文なんかをオンラインで公開していて便利。
ttp://repository.tufs.ac.jp/

84 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

85 名前:名無しさん 投稿日:2008/05/04(日) 12:02:41 ID:Q1M3YHyQ
>>69に関する>>83の訂正にさらに訂正。卓鴻澤は、「マレーシアの華人出身、
ハーヴァード大学において James Bosson 教授の指導のもと "Tibetan
Buddhism in Ming China" により学位を取得。2005年10月から中央研究員助研
究員となっている。」とのこと。『満族史研究』5の中見立夫の文献紹介より。


図書館で現実逃避したいのに、まとまった時間が全然とれない。今回はオンラ
インで済む話。元ネタは朝鮮日報の記事。

朝鮮王朝の太祖・李成桂はモンゴル軍閥だった!?
ttp://www.chosunonline.com/article/20060905000052

李朝初期のモンゴルからの影響は、岡田英弘が概説書でさらっと触れていて、
宮紀子が書誌学っぽいところから攻めた論考があるぐらいで、日本ではまとも
な専論がないと思う。ついでに、李朝の先祖については、>>24で触れた池内宏
の古い論文があるくらい。

尹銀叔の論文をオンラインで探してみた。韓国の某サービス。検索できるし、
新し目のものはPDFも手に入ったりする。余談だが、この方面、日本は遅れす
ぎ。技術的には何の問題もないから、権利者を納得させて進めるだけだが、政
治的なところがうまくいかないのが日本。論文なんて、もともと採算の取れる
ものではないし、人に読んでもらってナンボのものなので、公開してほしい。

見つかった尹の論文を年代順に並べてみた。

* 1998: 「西渤海」とモンゴル
* 2003: クビライ・カンの中央集権化に対する東道諸王たちの対応 -"ナヤン反
乱"を中心に-
* 2004: チンギスカン東道諸王の分封地とその発展 -モンゴル汗国の創業,守成
過程の対応と係わって-
* 2006: オッチギンとチンギスカンの金国征伐戦
* 2007: オッチギン家タガチャルの活動とクビライのカアン位争奪戦
* 2007: モンゴル帝国初期帝位継承紛争 -オッチギンの軍事行動を中心に-
* 2007: ナガチュの活動と14世紀末東アジア政勢

モンゴルの東方三王家、特にオッチギン家が専門の様子。朝鮮日報の記事を読
むと、モンゴルと高麗、李氏との関係ばかりを扱っているような印象を受ける
が、そうではないらしい。元代の満洲史は、そもそも『元史』が杜撰だったり
するなど史料の制約が大きい上、研究が少なく、未だに和田清あたりを引いた
りしている。このあたりを真面目に補完してくれるのならうれしい。

韓国語はほとんど読めないので英文要旨に頼るわけだが、この英文がかなりひ
どい。ちなみに、もう一方のエルデニ・バータルはまったく検索でヒットしな
い。D 論だけ書いているとは思えないのだが。

86 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

87 名前:日語商売 ◆G2IlbonwGk 投稿日:2008/05/30(金) 18:37:59 ID:h6uldtmk
>>57
超亀レスながら

>崔官によれば、その「木田孫兵衛墓」からは「明治十四年
>甲辰四日」と読み取れると言う。

干支の書き方に引っかかったので、調べてみましたら、以下の疑問が。

・明治14年の干支は癸巳。甲辰ではありえない(明治ならば37年)。
・木田孫兵衛の生存以降の甲辰年は、古い順に慶長9年、寛文4年、享保9年、天明4年、天保15年(弘化元年)、明治37年、昭和39年。
「明治十四年」と間違えそうな年号は1つもない。「明治三十七年」を除けば「天明四年」がやや似ているか?
・甲辰を月の干支と捉えることもできるが、甲辰月は明治14年には存在しない(一番近いのが翌明治15年の3月)。
それに、月を数字を示さず干支で表記するのは極めて異様。もしや「四日」は「四月」の間違い?
・明治5→6年の太陽暦採用以降は、年に干支を付すことすら少なくなる。

つまり、「明治十四年甲辰四日」という読み取り自体に非常に重大な間違いがあるとしか考えられません。
崔官の本では「残りの碑文は薄れて判読不可」とあり、そうなると年月日の読みも怪しいでしょう。
地元の郷土史家とかでちゃんと読んでいる人はいないのでしょうか?

88 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

89 名前:名無しさん 投稿日:2008/06/14(土) 17:59:48 ID:QebGGvjI
>>87
ありがとうございます。返事が遅れてすみません。

整理のために、崔官著『文禄・慶長の役−−文学に刻まれた戦争』(1994年) の
p.220より該当部分を引用します。

 現在、大分県下毛郡山国町毛谷村 (槻木村) には、毛谷村六助 (後に貴田
 [木田、喜田] 孫兵衛と改名) の墓 (「木田孫兵衛墓」明治十四年甲辰四日、
 残りの碑文は薄れて判読不可) がある。

その続きが以下。

 そこの喜登家 (現在の家は約二百年前に建てられたという) には「享保元
 (一七一六年) 丙申七月写之」と記されている古文書「毛谷村六助畧縁起」が
 伝わり、毛谷村六助の実際の行跡について物語ってくれる。

これに関しては、

 田畑博子、「『彦山権現誓助剣』論」、『国文学 解釈と鑑賞』、第61巻5号、
 164-174頁、1996年

に以下の記述があり、別ソースから裏付けています。

 山国町の六助のお墓をまつっている月木博氏の家には、「毛谷村六助畧縁起
 写」が残っている。この巻物は、「享保元丙申七月写之」「右明治三十五年
 五月再写」とあり、墓の隣りの喜登家の物を写したものである。

田畑氏も墓の写真を掲載していますが、残念ながら碑文については触れていま
せん。一応、私も「明治十四年甲辰四日」が何かの読み間違いという可能性を
してみました。「四日」が「四月」の間違いというのはありそうです。四月が
甲辰にならない気がしましたが、新暦なら問題ないようです。対応する年が明
治の 5 * N 年とすると、明治35年3月なら、『縁起』の写しと連動していい感
じです。問題は、読み損じて「十四年」にはなりそうにないことです (丗五?)。
やはり現物を確認しないことには何ともいえませんね。

90 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

91 名前:名無しさん 投稿日:2008/06/22(日) 16:54:34 ID:xzJyKsSA
昔集めた資料から。

 園田俊介: 「北魏時代の楽浪郡と楽浪王氏」、『中央大学アジア史研究』第
 31号、1-32頁、2007年

ググったところ、著者は津島市立図書館副館長らしい。

楽浪郡で王氏と言えば、文献にも出土物にもよく出てくる有力な一族だが、こ
こでは、高句麗に滅ぼされた後の僑郡を扱っている。まず、史料の記述が断片
的な楽浪僑郡の変遷を王氏のいくつかの墓誌を使って補完し、次に北魏時代の
王氏の婚姻関係を整理している。しかし、私にとっては、議論の出発点からし
て初耳だったりする。

* 楽浪郡は313年頃に半島で消滅したあとも、朝陽からはじまって、北京、遼
 寧省義県付近、河北省満城県付近の順で移転し、最終的に廃止されたのは北
 斉時代の556年。
* 北魏の文明馮后の母や宇文泰の母が楽浪王氏であり、半島の楽浪が滅亡した
 後も (というか滅亡後こそ) 有力な一族だった。

北魏の王温墓誌 (532) で主張される楽浪王氏の出自は、周文王、太子晋を族
祖とし、太原王氏の王覇、王沈を中間の祖先となっている。楽浪への移住は、
313年 (正しくは314年) に石勒の禍にあって逃げたとあり、年代的にはかなり
下っている。というか、ちょうど楽浪郡が高句麗に滅ぼされた頃。園田氏は附
会の可能性を指摘している。

楽浪王氏といえば思い浮かぶのは、『後漢書』循吏列伝の王景にある記述。先
祖の王仲が前漢文帝の時代に琅邪郡不其県から楽浪に移ったというもの。王温
墓誌はこれとは異なる。園田氏もこれには触れていない。楽浪王氏に複数の系
統があるのか、単に後世に先祖を偽ったのかわからない。

註にもあるように、もうひとつ思い浮かぶのは『新撰姓氏録』の記述。右京諸
蕃上の山田宿禰が周霊王の太子晋を祖とし、これとは別に、河内国諸蕃の山田
宿禰が魏の司空王昶を祖とある。王昶は晋の子孫を称するので、この二つは実
は同じ伝承と言える。王温墓誌の記述と接点があるようで興味深い。

92 名前:鄭聲之 投稿日:2008/06/22(日) 22:49:49 ID:NWIWUO5Q
>>91
お、これは興味深いですねー。さっそく保存しますた

楽浪王氏ってのは山東王氏(つまり戦国斉の田氏の分家)から分出したんでしょうが
なぜ太子晋に付会する必要があったのか、ちょっと謎ですね

93 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

94 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/21(月) 08:32:13 ID:VTvIpJYs
そろそろこのスレも放棄した方が良い様に思うんですが、どうでしょうか?

王公族の英語での呼び方について前から気になっていて、英語の資料を探して
いた。まず外務省に目をつけたが収穫なし。最近、朝鮮総督府
(Government-General of Chôsen) が総監府時代から出している英語の年次報告
が使えることに気付いた。

Annual Report on Reforms and Progress in Chosen (Korea)

1910-11年版の Appendix A に 王公族の根拠となった併合条約が載っている。

Article III. His Majesty the Emperor of Japan will accord to Their
Majesties the Emperor and ex-Emperor and His Imperial Highness the
Crown Prince of Korea and Their Consorts and Heirs such titles,
dignity and honour as are appropriate to Their respective ranks, and
sufficient annual grants will be made for the maintenance of such
titles, dignity and honour.

Article IV. His Majesty the Emperor of Japan will also accord
appropriate honour and treatment to the members of the Imperial House
of Korea and their heirs, other than those mentioned in the preceding
Article, and the funds necessary for the maintenance of such honour
and treatment will be granted.

さらに、八月二十九日付けの寺内正毅総監の諭告が Appendix E:
Proclamation of Annexation by Resident-General (Issued on August 29,
1910.) として載っている。関連する部分は以下の通り。

Hereafter the Emperor of Korea shall be known by the title of His
Imperial Highness Yi Wang (Prince Yi), and the Crown Prince shall be
called Prince Heir, so that the hereditary title shall endure forever,
while the Ex-Emperor shall be given the title of His Imperial Highness
shall receive the treatment of Princes of the Blood and Their annual
grants shall be as munificient and the same in amount as heretofore.

munificient は munificence の誤りと思われる。アジア歴史資料センターで拾っ
た原文は以下の通り。

自今前韓国ノ皇帝陛下ハ昌徳宮李王殿下ト称セラレ皇太子ハ王世子トナリテ後
嗣長ヘニ相継承シ萬世無窮タルヘク太皇帝陛下ハ徳寿宮李太王殿下ト称セラレ
竝ニ皇族ノ礼遇ヲ賜ハリ其ノ秩俸ノ豊厚ナル皇位ニ在スノ時ト異ルナカルヘシ

見比べてみると、「昌徳宮」に対応する文言が英文にないなど、あまり忠実な
訳ではない。条約じゃないからいい加減なのかもしれない。注目すべきは、併
合後の敬称が His Imperial Highness となっていること。漢語だと皇帝から王
へ明白な格下げだけど、英文では、Majesty から Highness へと、君主じゃな
くなっただけで、Imperial が維持されている。

95 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/21(月) 08:33:28 ID:VTvIpJYs
本文の I. General の 2. Annexation の D. Treatment of Ex-Imperial
Family of Korea (pp.17-18) にも関連する記述があるので写してみる。

In connection with the Annexation, His Majesty the Emperor of Japan,
being extremely anxious to promote the prosperity of the ex-Imperial
Family of Korea and to accord due and appropriate honours to the
Sovereign of that country and his relatives, other Imperial rescripts
were promulgated on Annexation day, by which the Korean Emperor, being
thereafter invested as Ō, (Wang in Korean) "Prince", is to be known by
the name of the Li-O (or Yi Wang in Korean) of the /Shotoku/ Palace;
and the Crown Prince is to be called Ōseishi or "Prince Heir," so that
the hereditary title should endure forever; while the Emperor Father
is to be given the title of Tai-Ō, r "Father Prince", being hereafter
known by the name of the Li Tai-O (Yi Tai-Wang) of the /Tokusu/
Palace. Their consorts are to be given the titles, respectively, of
Princess, Princess Heir, and Grand Princess. The aforesaid Princes and
Princesses are also to receive the title of "Imperial Highness" and
the treatment of Imperial Princes or Princesses of the Blood. Their
annual grants are to be sufficient and the same as hitherto, the total
amount being 1,500,000 /yen/, defrayed from the annual budget of the
Government-General of Korea. Members of the ex-Imperial Family of
Korea other than those mentioned above, such as a step brother of
Prince Li or his uncle, are also to be treated as Imperial Princes or
Princesses of the Blood, receiving the title of "Imperial Highness";
and for these two relatives of Prince Li, a grant of 840,000 /yen/ is
to be given out of the Imperial Donation Fund respectively for the
maintenance of their households.

With regards to the management of the household of Prince Li's
family. an organic regulation of the Household Office was promulgated
by a decree of the Imperial Household Department of Japan, issued in
December 1910, by while Prince Li's Household Office was brought under
the supervision of the Minister of the Imperial Household
Department. The fixed number of the Household Office was specified as
273, about half the number of those employed in the former Imperial
Household Department of Korea. A reduction of about 220,000 /yen/ has
been made in the expenses of Prince Li's Household on account of the
diminution of the employees and the abolition of numerous court
ceremonies, so that the sum of 1,500,000 /yen/, designated as the
annual grant for Prince Li's Household, should be quite a liberal
allowance as compared with that previously granted. In order to
maintain uniform control of the administration of Korea, the business
of Prince Li's Household Office and its employees was brought under
the jurisdiction of the Governor-General of /Chosen/.

96 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/21(月) 08:34:00 ID:VTvIpJYs
// で囲った部分はイタリック。誤植が一箇所。Emperor が Fmperor となって
いる。

こちらもやはり Imperial Prince となっている。

1911-12年版には王公族に関する節がなく、わずかに Introduciton で言及され
るのみ。ここでの記述を見ると Their Highnesses Prince /Li/ Junior and
Prince /Li/ Senior と the Heir Presumptive となっていて Imperial の文字
がない。

あと、古い Japan Yearbook も若干参考になる。控えをとってないので以下は
うろ覚え。要確認。初期は王公族は Korea の章に記述されていたが、後には皇
族に続いて説明されている。日本語と朝鮮語の読みが混在していたのが、最終
的には日本語読みで統一される。後期には His Highness を使っており、
Imperial の文字はない。王と公は区別されてなかったと思う。

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