■掲示板に戻る■ 全部 1- 101-111 前32 新着レス 最新50

歴史系総合

33 名前:名無しさん 投稿日:2006/08/02(水) 21:38:38 ID:s3IRoT1.
半島南部から数多く出土する勾玉について、戦前は日本から伝わったという見
方が主流だったが、戦後の韓国側では韓国から日本に伝来したという主張が共
通的理解となっている。しかしこの主張にはいくつか問題点があると言う。

まず韓国側の説について。韓炳三の「曲玉の起源」からの田村の抜粋をそのま
ま写す。

 「中国東北地方で遼寧式銅剣を使用する青銅器人達によって月神の象徴たる
 半月形天河石玉を呪術的な護符として佩用することが始まった。このような
 半月形玉が青銅器とともに韓半島にも伝来し、忠南地方に到った時は三日月
 形の先史曲玉に変形され、南部地方にまで波及し、これがさらに海を渡って
 日本に伝来した。このように変形発展した先史曲玉が南部地方の金海文化期
 に入ってくると、より古墳出土曲玉と類似する形態をとるようになった」と
 いい、さらに「以上のような曲玉の発展系譜を通じて明らかなことは、曲玉
 が日本に起源し、韓半島南部に伝播したという日本学界の主張は事実と異な
 り、百済・新羅古墳から多量に出土する曲玉は韓半島青銅器文化の所産であ
 る先史曲玉に由来したというのが事実である」と述べた。

で、問題点。一番は産地が未発見なこと。一時期ヒスイの産地が韓国で発見さ
れたという情報が流れたが、寺村光晴が探査したところ見つからなかったとい
う。二番目は連続性。半玦状飾玉から原三国時代の勾玉には形式の違いと300
年以上の空白がある。具体的には、前者の横断面は砲弾形なのに対して、後者
は隅丸方形。また、頭部の形態も、前者は角ばっているが、後者は丸みを帯び
ているという。最後に丁字頭勾玉。日本では弥生時代中期から古墳時代まで継
続して見られるのに対して、新羅の領内で使用され始めたのは4世紀中葉以降、
5世紀中頃まで。また、半島での勾玉の佩用は金銀製耳飾の使用者層よりも限
定された一部の人々にのみ許された (あるいは可能であった) とし、勾玉が重
要視されたのは、日本から入手し得たた勾玉が権威の象徴となっていたからと
考えている。

34 名前:名無しさん 投稿日:2006/08/04(金) 21:31:06 ID:ZvPYrciY
お次。
 寺村光晴: 「日韓古代のヒスイと玉」『東アジアと日本海文化』、173-196
 頁、1984年9月
上の田村晃一の論文が参照しているもの。これも勾玉を専門に扱っているので
はない。あくまでヒスイ製の玉が対象であり、ヒスイ製でない勾玉は除外され
ているし、勾玉以外のヒスイ製の玉にも触れている。

韓国で発見されたといわれたヒスイについて寺村は次のように述べる。(原文
の口語体を変更。要約。以下同様)

蛇紋岩帯があり、ヒスイ産出の条件を否定できない地質構造のところがあるが、
ヒスイと近縁関係のアルピタイトなどは検出できなかった。現時点では韓国に
はヒスイは産出しないと考えておいたほうがよい。しかし、地質構造からみて、
まったくないとも断言できない。

実は田村の論文ですべて引用されている。田村が省略している部分は次の通り。

韓国でヒスイ製の玉類が出土するのは三国時代になってからで、特に五世紀を
中心とし、新羅に多く出土する。百済や伽耶では比較すると少なく、高句麗で
はないといってもよい。

日本の古墳時代は、前期 (およそ四世紀頃) にはヒスイの玉が非常に多いが、
中期になると次第に少なくなる。韓国は反対に、中期になるとたくさん出土す
る。勾玉の使い方は、日本では、主として首飾りなどの親玉として使用され、
副葬品として古墳に埋葬されている場合が多い。韓国では、首飾りや耳飾りの
ほか、金冠の飾りとしても大量に使用される。日本の場合はマジカルなもの、
宝器的なものという意味合いが強いが、韓国ではむしろ装飾的でかつ儀礼的な
色彩が強い。

ヒスイ製勾玉の形による再分類から。日本では、丁字頭勾玉は古墳時代の前期
に盛行し、中期 (五世紀頃) になると少なくなる。定型化されていない勾玉は、
縄文時代や弥生時代初頭の頃に主として見られるが、古墳時代にはほとんどな
くなり、定型化する。一方半島では、五世紀頃に形式的な混在が認められる。
よって、新羅などの玉は、(自ら生産したのではなく) 集められたものがかな
りあると思われる。

35 名前:名無しさん 投稿日:2006/08/06(日) 08:14:55 ID:/hLm8OMU
このスレッドメチャメチャ面白いですね。
勾玉ウリナラ起源説まであるとは初めて聞きました。
前方後円墳ウリナラ起源説というのは聞いたことありますが。

36 名前:鄭聲之 投稿日:2006/09/16(土) 02:04:57 ID:Cf29kZY2
このスレ面白いね。ずいぶん長く止まってるけど。

37 名前:名無しさん 投稿日:2006/09/21(木) 21:37:17 ID:zYApyFFA
>>35-36
ありがとうございます。何だかスレを完全に私物化しちゃってますが、もとよ
り意図してのことではありません。皆さんの投稿を歓迎します。特に鄭さん!

ここ10年で最悪のネット環境でしばらく耐え忍んできました。まあ、そういう
ことがあっても困らないようにハングル板ではなく総督府でやっているのです
が。それはともかく、代わりに、国会図書館の本館で、近所では手に入らない
論文を仕入れてきました。今日はそのうちの二つを紹介します。


>>32で触れた佐々充昭の「東アジア近代におけるウエスタン・インパクトと国
教創設運動の展開」があった。『アジア民衆史研究』は遅れて納本された模様。
内容は、

 近代化の過程で、体制崩壊を回避するために伝統宗教を再構築してナショナ
 ル・アイデンティティを確立し、国民統合を図るという国教創設運動が行わ
 れた。この国教創設運動は、日本の国家神道→中国の孔教運動→朝鮮の儒教
 改革運動→朝鮮固有宗教 (檀君教) の創設 という順で影響が及んだ。

といった感じ。多分ハン板の檀君崇拝スレの人の方が詳しいと思う。
ttp://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1157037022/


 阿曽村邦昭: 「「古朝鮮」についての若干の考察」『麗沢学際ジャーナル』
 10(2)、37-68頁、2002年
この人は、
 阿曽村邦昭: 「蒙古の対外膨張に対する大陸周辺諸国の対応と檀君神話」
 『麗沢大学論叢』13、85-120頁、2002年
という論文も書いているが、こちらは製本中で入手できず。『麗沢大学論叢』
は所蔵している図書館がやたら少ない。

副題に「韓国国定歴史教科書理解のために」とあるように、教科書を含めたい
ろんな文献の説を比較検討しながらうだうだ言っている。韓国人が出てくるた
びに経歴を載せるあたりが特徴的。要約としては便利だけど、特に目新しいこ
とを主張しているわけではない。

そもそもこの人は歴史学者ではない。この人が書いた論文の表題をいくつか挙
げると、「平和構築と開発」「転換期の中国と農村における政治意識」「桓武
天皇と帰化人系官人」など。節操がない。おまけに、韓国側の研究動向を調べ
ているようで、実は日本語化されているものしか読んでおらず、かなり手抜き。
これではやっていることが私と変わらない。

38 名前:日語商売 ◆G2IlbonwGk 投稿日:2006/09/22(金) 14:59:08 ID:ZdGHCn4k
いつも読ませていただいております。
面白いですよ、私も勉強になります!

39 名前:名無しさん 投稿日:2006/10/03(火) 11:36:34 ID:qASL5hCM
bhjbんl・;k:;

40 名前:名無しさん 投稿日:2007/01/08(月) 22:21:14 ID:uJmqrTBA
>>38 どうも。

今回は王仁について。古代史のようで現代史。あるいは歴史の政治利用、また
そのための捏造。

王仁については、既に野平俊水の『日本人はビックリ! 韓国人の日本偽史』の
中で、「王仁博士の生家は全羅南道・霊巌である」として取り上げられている。
次の論文も王仁の政治利用を扱っている。

 大石和世: 「伝説を通して表象される日韓関係−−ポスト・コロニアル状況
 下における王仁博士顕彰運動について」 『福岡発・アジア太平洋研究報告』
 第13号、1-9頁、2004年

ポスコロなんて言っている表題から明らかなように真っ当な史学ではない。実
際、本文冒頭で

 本稿の問題意識は、植民地主義の遺産である言説が、現在の政治的文脈にお
 いて、いかに用いられているかを明らかにすることである。

と述べている。まあ、そんなことはどうでもいい。国内では入手困難な文献を
整理しているところがうれしい。大石氏は、水野氏のと違って、王仁と霊巌が
結び付けられる過程のいかがわしさは省略している。かわりに1970年代以降の
政治的動向について詳しい。

面白いのは次の話。水野氏は、韓国霊巌に関する情報を金秉仁「王仁の『地域
英雄化』過程に対する文献史的検討」によっているが、その金秉仁の新しい論
文「王仁と霊岩、そして「内鮮一体論」」(2003) が発表された大会は、同じ
霊巌郡にある道岬寺側の勢力の意向で開かれたもので、その政治的意図は、自
治体が推進する王仁顕彰運動に対抗して、寺ゆかりの道詵国師を持ち上げるこ
とだという。こういう内輪揉めっぽい話はいろいろ使い道がある。

どうでもいいけど霊巌と霊岩の表記の揺れが気になる。霊巌の方が正しいと思
うのだが。

41 名前:名無しさん 投稿日:2007/02/07(水) 06:03:48 ID:u9uxfCbg
どうでもいいけど王仁と霊巌が結びついた最初のきっかけはなんですか?
元々関係ないんですよね?

42 名前:名無しさん 投稿日:2007/02/17(土) 21:02:26 ID:DrHO6piQ
>>41
水野の本から金秉仁の論文を孫引きすると、1932年頃青木恵昇という坊さんが
言い出したのが、知られる限り最初らしい。根拠は言い伝えというから、単な
る捏造でしょうね。

今回のネタは蚩尤。中国の神話で、黄帝と涿鹿の野で戦って破れ殺されたとい
う。この蚩尤を韓国サッカーのサポータ「レッドデビル」がマスコットにして
いる。存分にシナーさんと喧嘩してくださいって言いたいところだが、情報が
少ない。日本だと、物好きねらー以外がこの話を取り上げているのを見たこと
がない。「孔子は韓国人」程のインパクトがないからか。

話の出所は例によって檀君系の偽書。『桓檀古記』の「三聖記」に倍達国第14
代慈烏支桓雄が蚩尤天王と称したとある。あとは中国の史書の換骨奪胎っぽい。
漏れは神話には詳しくないので、『中国神話・伝説大事典』の助けを借りる。
「頭が銅、額が鉄」という記述は、北宋代の『太平御覧』巻78に引く漢代の
『龍魚河図』にある。他も原典があるのだろうが良く分からない。違うところ
は黄帝軒轅に破れて殺されるはずが、勝って黄帝を従えたことになっている。
「青丘国に遷った」というのは、『帰蔵』「啓筮」に「青丘で黄帝に殺された」
とあるのをもじったのだろうか。

某オンライン百科事典では、蚩尤があたかも韓国の神話に登場して信仰を集め
てきたかのように記述されている。これが大嘘なのは言うまでもない。そもそ
も、蚩尤は朝鮮の史書にめったに出てこない気がするのだが。

確かに軍神っぽい扱いをしている記述が見えるが、中国でどの程度一般的なの
かわからない。『中国神話・伝説大事典』は、劉邦が挙兵の際に黄帝を祀り、
蚩尤を祭ったという『史記』の記述を引いている。自分で見つけられたのは、
宋太宗が戦いの前に蚩尤を祭ったという宋史の記事ぐらい。蚩尤という単語が
出てくるのは、ほとんどが妖星である蚩尤旗が見えたという記録のように思う。

43 名前:名無しさん 投稿日:2007/02/28(水) 08:13:54 ID:Df7qkE0I
蚩尤は史記にもでてくるメジャーな神様じゃないですか。
三皇五帝の神話で、神農から黄帝への交代するところで。
神話によって、黄帝が「まず神農、次ぎに蚩尤を」破ったとするバージョンと
黄帝が「まず蚩尤、次ぎに神農を」破ったとするバージョンがあるようです。

44 名前:名無しさん 投稿日:2007/02/28(水) 20:42:16 ID:Rp3cnl6k
>>44
すみません。文章が下手で誤解を招いているような気がします。42で蚩尤が一
般的でないということを二回書いていますが、一度目は、日本での知名度が今
ひとつだから、SAPIOとかその手の雑誌には載らないだろうという意味です。
二度目のは、神話として知られているかは別として、蚩尤に対する祭祀がどの
程度行われていたのか分からないという意味です。


祭祀には全然詳しくないが、別件で調べていた
 桑野栄治、「李朝初期の祀典を通じてみた檀君祭祀」、『朝鮮学報』第14輯、
 57-101頁、1959年
によると、李朝の成宗朝に『国朝五礼儀』という書物が上梓され、祀典が完成
した。その『国朝五礼儀』の補助書として編纂された『国朝五礼序例』によれ
ば、李朝初期の祭祀には、大祀、中祀、小祀の三段階があり、例えば社稷や宗
廟は大祀に区分される。これ自体は唐の制度そのままだと思う。小祀の中に禡
祭があり、禡祭壇は王都の東北郊にあったとあるが、この禡祭こそが蚩尤のこ
と。禡という見慣れない文字は、文字通り軍神を祭ることらしい。なお、「大
祀、中祀が、おおむね国王親祭が原則とされているのに対して、例外なく各級
の官員が主宰するように定められている」とある。

いちおう支那の劣化コピーで蚩尤の祭祀は行っているけど、数ある神の一人に
過ぎないわけで、広く朝鮮人の信仰を集めていたということはないはず。

そういえば、青丘は朝鮮の別称として使われる。どういう由来かは知らないけ
ど。これもこじつけに使われたのだろうか。

45 名前:名無しさん 投稿日:2007/03/09(金) 22:06:03 ID:q2bTVz6U
水野俊平『韓vs日「偽史ワールド」』を入手。前作『韓国人の日本偽史』もそ
うだが、水野氏には、日本であまり知られていない韓国の言説を紹介すること
を期待している。トンデモにしろ、比較的まともな論考にしろ、韓国で出版さ
れたものは、日本では大抵入手困難だから。

今回取り上げるのは、その第3章第1節。朝鮮の役で妓生の論介が道連れにして
殺したのは毛谷村六助という説は、実は根拠のない20世紀のでっち上げという
話。興味がなかったので今まで全然知らなかった。

水野は、論介の説話が潤色される過程を金スオプ『論介』を使って説明してい
る。論介の方が中心だが、私が気になったのは、むしろ、毛谷村六助の方。浄
瑠璃の演目で、歌舞伎にも採用された『彦山権現誓助剣』の主人公というから、
知られている話のうち、何が史実で何が虚構なのか、まずはっきりさせたい。

そもそも毛谷村 (けやむら) という名前からして妙だ。出身地豊前国の村の名
前だが、谷を「や」と読むのはあずまっぽくて西国らしくない。本当にそんな
地名があるのかと思ったら実在した。大分県中津市山国町 (2005年の合併以前
は下毛郡山国町) に槻木 (つきのき) という村があり、その中に毛谷村という
地名がある。なお、菱屋平七『筑紫紀行』(1801) が、当地に滞在した時に毛
谷村六助のことを尋ねている。以下、日本歴史地名大系の大分県から孫引き。

豊前国毛谷村六助が事、太閤御誠録と云軍書に出て、近頃浄瑠璃にさへ作りた
る事をふと思ひ出て尋れば、其事に候、是より一里北にあたりて、元槻木村と
申すに七右衛門と申者代々村の長にて、是六助が子孫なりとかや申候。此七右
衛門が家、春の初に松飾を用ひずして、柴の把を門にたて候、家に系図記録も
候らひしを、二十年以前火災にて、村中ことこと[反復記号]く焼亡せし時にほ
ろび失たりと申候。かの毛谷村は、此槻木村をけやき村とよみたる誤にや候は
ん。又同しあたりに杉山と申所の候。かの杉坂も此事にやと申候。すべて慥
[たしか]成事は伝へも承はらず候とかたる

ということで、毛谷村は槻木村の誤読という説が紹介されている。また、この
当時は地元では毛谷村が地名として定着していなかった風だから、もしかした
ら現在の地名は、浄瑠璃・歌舞伎からの逆輸入かもしれない。

46 名前:albert.applegate@emailaddresses.com 投稿日:2007/03/15(木) 10:59:16 ID:VbPZHTtw
Google is the best search engine

47 名前:名無しさん 投稿日:2007/03/30(金) 21:37:44 ID:IMFaNT96
本場支那の祭祀については金子修一が研究しているようだが、対象を唐代まで
としている模様。宋代ぐらいまで手を伸ばしてくれてもいいと思うのだけど。

>>44で触れた桑野の別の論文にも情報があった。
 桑野栄治: 「李朝初期における国家祭祀」、『史淵』、第130輯、1993年

『国朝五礼儀』を中心に李朝初期の国家祭祀の整備過程を調べている。『国朝
五礼儀』の小祀にある、老人星、禡祭、酺祭、纛祭、詩ユは、『世宗実録』五
礼にも、『高麗史』礼志にも見えない。ゆえに、李朝初期における国家祭祀の
特性を示すものとして、桑野は各々に特別に検討をくわえている。このうち、
禡祭が蚩尤の祭祀。

禡祭の祭神は、実は、世宗4年当時は黄帝だったそうだ。その後制度について
議論が起きて、礼曹が古制を研究した結果、世宗6年に祭神を蚩尤にかえるこ
とになった。『通典』所載の周制にならったとある。

実際に『通典』を見ると、卷76、軍禮に「禡於所征之地.」とある。あとは註
釈で、礼曹が引いているのは「若至所征之地祭者,則以黄帝、蚩尤之神,故亦
皆得云禡神也.若田狩,但祭蚩尤而已.」という部分。台湾中央研究院漢籍電
子文獻を使っているので、いつ誰がつけた註釈かわからない。

「これにより、世宗6年9月に禡祭儀註が制定され、毎年春秋の講武の前日に禡
祭が挙行される運びとなった。」という。ところが、英祖20年 (1744) 年に制
定された『国朝統五礼儀』(『国朝五礼儀』の改訂版)では禡神は革罷されてし
まったという。何だか扱いが軽い。

48 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

49 名前:名無しさん 投稿日:2007/04/05(木) 21:26:44 ID:qgkRBIvo
http://ezspa1.info/apuesta-blackjack.html apuesta blackjack
http://ezspa1.info/anteproyecto-vivienda.html anteproyecto vivienda
http://ezspa1.info/adoptar-ucrania.html adoptar ucrania
http://ezspa1.info/arkansas-estate-real.html arkansas estate real
http://ezspa1.info/asador-pinto.html asador pinto
http://ezspa1.info/alojamiento-sevilla-pension.html alojamiento sevilla pension
http://ezspa1.info/andres-lima.html andres lima
http://ezspa1.info/alojamiento-gay-madrid.html alojamiento gay madrid
http://ezspa1.info/x-accesorio.html x accesorio
http://ezspa1.info/berrocal-ponferrada.html berrocal ponferrada
http://ezspa1.info/billetes-madrid-paris.html billetes madrid paris
http://ezspa1.info/bungalows-gran-canaria.html bungalows gran canaria
http://ezspa1.info/adelgazar-cara.html adelgazar cara
http://ezspa1.info/artesania-mexico.html artesania mexico
http://ezspa1.info/apartamento-tribunal-madrid.html apartamento tribunal madrid
http://ezspa1.info/acustica-sonar.html acustica sonar
http://ezspa1.info/business-plan-sample.html business plan sample
http://ezspa1.info/accesorio-competicion-coche.html accesorio competicion coche
http://ezspa1.info/acapulco-chapulin.html acapulco chapulin
http://ezspa1.info/becas-master.html becas master
http://ezspa1.info/alimentacion-geriatria.html alimentacion geriatria
http://ezspa1.info/acoso-prevencion.html acoso prevencion
http://ezspa1.info/artrosis-balneario.html artrosis balneario
http://ezspa1.info/america-aborigen.html america aborigen
http://ezspa1.info/iran.html iran
http://ezspa1.info/autonomos-transportista.html autonomos transportista
http://edtff2.info/edimburgo-cosmo.html edimburgo cosmo
http://edtff2.info/hotel-san-clemente.html hotel san clemente
http://edtff2.info/encontrar-amor.html encontrar amor
http://edtff2.info/elemento-belleza.html elemento belleza
http://edtff2.info/hotel-colonia-uruguay.html hotel colonia uruguay
http://edtff2.info/hotel-lujo-grecia.html hotel lujo grecia
http://edtff2.info/empresa-servicio-ferroviario.html empresa servicio ferroviario
http://edtff2.info/gestor-granada.html gestor granada
http://edtff2.info/ensenanza-distancia.html ensenanza distancia
http://edtff2.info/hotel-mariano-cordoba.html hotel mariano cordoba
http://edtff2.info/hostal-maja.html hostal maja
http://edtff2.info/galeria-imagen-digital.html galeria imagen digital
http://edtff2.info/gas-coche.html gas coche
http://edtff2.info/hotel-adagio-barcelona.html hotel adagio barcelona
http://edtff2.info/haz-motor.html haz motor

あなたのレスまたはスレッドの内容について、管理人から警告します。
内容に改善が見られない場合、あなたのリモートホストが公開されます。
解除申請は運営板にてお願いします。


50 名前:名無しさん 投稿日:2007/04/05(木) 22:27:33 ID:qgkRBIvo
http://ezspa1.info/aldaba-caceres.html aldaba caceres
http://ezspa1.info/acceso-internet-cable.html acceso internet cable
http://ezspa1.info/arqueologia-ecologia.html arqueologia ecologia
http://ezspa1.info/auditores-malaga.html auditores malaga
http://ezspa1.info/astrologia-venezuela.html astrologia venezuela
http://ezspa1.info/azar-argentina.html azar argentina
http://ezspa1.info/bascula-industrial.html bascula industrial
http://ezspa1.info/and-balance.html and balance
http://ezspa1.info/armario-poliester.html armario poliester
http://ezspa1.info/alemania-energetico.html alemania energetico
http://ezspa1.info/alergia-piel.html alergia piel
http://ezspa1.info/adiestramiento-madrid.html adiestramiento madrid
http://ezspa1.info/alicante-bars.html alicante bars
http://ezspa1.info/apartamento-rurales.html apartamento rurales
http://ezspa1.info/alcalde-malaga.html alcalde malaga
http://ezspa1.info/austria-salzburgo.html austria salzburgo
http://ezspa1.info/acapulco-gamba.html acapulco gamba
http://ezspa1.info/bangkok-zenith-hotel.html bangkok zenith hotel
http://ezspa1.info/arte-estufa.html arte estufa
http://ezspa1.info/belek-golf-hotel.html belek golf hotel
http://ezspa1.info/almacen-inventario.html almacen inventario
http://ezspa1.info/apartamento-rural-costa.html apartamento rural costa
http://ezspa1.info/burgos-noticia.html burgos noticia
http://ezspa1.info/ayto-san-fernando.html ayto san fernando
http://ezspa1.info/acne-treatment.html acne treatment
http://ezspa1.info/alcaldia-cali.html alcaldia cali
http://edtff2.info/hotel-y-alojamientos.html hotel y alojamientos
http://edtff2.info/hotel-leon-gijon.html hotel leon gijon
http://edtff2.info/fotografia-guardia.html fotografia guardia
http://edtff2.info/educacion-infantil-ursulinas.html educacion infantil ursulinas
http://edtff2.info/escapadas-baratas.html escapadas baratas
http://edtff2.info/fertilidad-mexico.html fertilidad mexico
http://edtff2.info/galeria-arrabal.html galeria arrabal
http://edtff2.info/hotel-playa-arenal.html hotel playa arenal
http://edtff2.info/encontrar-gente.html encontrar gente
http://edtff2.info/formacion-multimedia.html formacion multimedia
http://edtff2.info/fotografia-portas.html fotografia portas
http://edtff2.info/hostal-tizona.html hostal tizona
http://edtff2.info/ginecologo-barcelona.html ginecologo barcelona
http://edtff2.info/encuentro-bilbao.html encuentro bilbao
http://edtff2.info/energia-electrica.html energia electrica

あなたのレスまたはスレッドの内容について問題があり、
管理人からの警告にもかかわらず内容に改善が見られませんでしたので、
あなたのリモートホスト
(unknown.servershost.net)を公開します。
解除申請は運営板にてお願いします。


51 名前:デッドテック ★ 投稿日:2007/04/06(金) 02:46:01 ID:???
【悪質】荒し処理報告【連投】
http://www.soutokufu.com/cgi-bin/hogehoge/test/read.cgi/management/1175782617/
上記スレの標本として、>>49>>50のレスは保存いたします。。。。。。。。

52 名前:名無しさん 投稿日:2007/04/06(金) 15:04:58 ID:P/gdgEJc
何これ?

53 名前:娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA 投稿日:2007/04/13(金) 00:11:31 ID:MrlNL/Fs
 このスレは良スレニダから、何とか守ってほすぃニダが…。

54 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

55 名前:名無しさん 投稿日:2007/05/20(日) 11:43:16 ID:Qs5X53rQ
test

56 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

57 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/03(月) 20:20:06 ID:4DywIhFE
5ヶ月放置しても落ちない総督府は素晴らしい。スパマ対策には感謝です。

>>45で見た毛谷村六助の話。
 金京欄: 「韓国の「論介」説話と浄瑠璃『大功艶書合』及び改作について」、
 『演劇研究センター紀要』V、39-45頁、2005年1月
という論文を読んだ。後で調べると、以前の論文を合わせて、『日・韓語り物
文芸における女性像と担い手たち』というD論の一部として公開されている。
ttp://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/5281

正直言って、何を根拠に何を主張しているのか、論理展開がわからない。「演
劇学」なるものがどういう方法論を持っているのか知らないが、日本と韓国の
文学を比較してウダウダ言っているだけなら問題ないし、漏れも評価しようが
ないから、華麗にスルーする。ところが、金は歴史について2つ重大な主張をし
ている:

* 毛谷村六助が論介に殺されたのは史実
* 浄瑠璃/歌舞伎の作者はその話を知っていて劇に組み込んだ

そうなると、何を根拠にしているのか気になるが、肝心の部分がぼやけている。
金の論理を追っていくと、毛谷村六助が論介に殺されたという前提から出発し
て、両国の文学を比較、似ている部分があれば韓国の説話の影響だと主張し、
毛谷村六助が論介に殺されたのは史実だと結論付けている。トートロジー。2
点目についても、『大功艶書合』の作者が「大陸事情に非常に詳しい人物」だ
からで片付けている。いくら「演劇学」が史学じゃないといっても、これはひ
どいのではないか。

史学がらみの主張をしているけど、金がやっているのは「文学を比較してウダ
ウダ言う」ことだけ。それ以外の作業は、事典や他人の著作を引くだけ。でも、
本当はやるべきことはいろいろある。

絶対欠かせない基礎作業は、現在伝わる毛谷村六助 (貴田孫兵衛) の話から、
史実と後世の脚色を分離すること。そのために、浄瑠璃や歌舞伎の台本や講談
本の系統関係を明らかしなければならない。特に、『豊臣鎮西軍記』が、撰者
不明として書誌学的な検討なしに放置されているのは問題。

もう一つは、槻木村に残るという毛谷村六助の史料をちゃんと分析すること。
これらは、江戸時代半ばに毛谷村六助が脚光を浴びてからでっち上げられた可
能性があると思う。水野が引いている
 中村彰彦: 「歴史グルメほど、ひっかかる「偽書」誕生の心理学」、『諸君』
 34 (6) 臨時増刊号、78-88頁、2002年5月
は、「大分県山国町に墓があることから見て無事生還した可能性が高い。」と
言っている。でも、崔官によれば、その「木田孫兵衛墓」からは「明治十四年
甲辰四日」と読み取れると言う。これを怪しまない神経が理解できない。

『毛谷村六助畧縁起』は、「享保元 (1716年) 丙申七月写之」と記されている
という。一応、日付の上では天明6 (1786) 年の『彦山権現誓助剣』の初演より
も古いことになるが、怪しさ満点。ちなみに、崔官が写真と写しを載せている
が、写真と比べると写しは明らかに一部だ。全文検討すればボロが出るかもし
れない。

58 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

59 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

60 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

61 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/08(土) 21:23:11 ID:0qG0ZrOE
>>40で触れた王仁ネタ。枚方の「伝王仁墓」の話。「伝王仁墓」も胡散臭いも
ので、1731年に京都の儒者並河誠所が、「オニ墓」と呼ばれていた自然石を王
仁の墓だと言い出したのが始まりという。今回読んだのはこれ:

 後藤耕二: 「あとがきにかえて−−伝王仁墓を介した大韓民国全羅南道霊岩
 郡との友好都市問題をめぐって」『在日朝鮮人の歴史』、317-328頁、1994年

枚方市教育委員会から出版。著者は社会教育課所属。行政に関わる人間という
こともあってか、問題意識がやたらに現代的。その論理は非常に単純:

* 日帝は悪
* 王仁を顕彰したのは日帝
* ゆえに王仁を顕彰するのは悪

ところが、朝鮮人が王仁を顕彰していることには批判を加えたくない。おかげ
で、批判が鈍り、結論も「よく調べて考えましょう」という、ありきたりで内
容のないものとなっている。もっとも、左巻きの主張は入れたかったようで、

 アジアの隣国大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国との新しい関係を築いてい
 くためには歴史認識を改め、強制労働・連行、従軍慰安婦問題などを明らか
 にし、植民地支配の責任清算を積極的に進めていかなければならない時期に
 きているといえます。

などの演説が不自然な形で挿入されている。これが書かれたのは1993年で、出
版されたのが村山内閣の頃。その後枚方市は正常化したのだろうか?

ちょっと脱線するけど、朝鮮人、特に在日と、古代の帰化人を同一視する言説
がどういう経緯で生まれたのか気になる。当たり前のように思われているけど、
よく考えたらそうでもない。日本人と朝鮮人を区別するとき、帰化人を現代日
本人の祖先の一部として日本人側に入れてもおかしくない。複数になると自他
の境界なんていくらでも恣意的に設定できる。

政治的な主張に目をつぶれば、便利な資料ではある。伝王仁墓をめぐる明治以
降の動きを詳細に追っているのは、知る限りこれぐらい。関連する新聞記事を
集めているのもうれしい。だた、個々の記事の出所をもうちょっと明確に記載
してほしい。ついでに言えば、上野公園の博士王仁碑の設立経緯についてもこ
れぐらいの情報がほしい。

新聞記事で言えば、明治期の「博士王仁墓地」拡張運動がらみで、「仁徳天皇
の師伝となった」という記述がある。日本書紀によれば、王仁は菟道稚郎子の
師となったはずなのに。これは一時的な勘違いだったようで、その後の記事に
は見えない。

ちなみに『枚方市史』の第2巻と別巻も少しだけ王仁を取り上げている。別巻
(1995) は、後藤と同じ筆致で、伝王仁墓に根拠がないことを述べている。第2
巻 (1972) は、元の「オニ墓」という伝承を含めて由来を説明しているが、別
巻のように根拠薄弱さを特段強調していない。

62 名前:鄭聲之 投稿日:2007/09/09(日) 01:19:33 ID:j271kPXY
>上野公園の博士王仁碑の設立経緯

上野公園にそんなのあったっけ?
おれすぐ近くの日暮里に住んでてよくいくけど知らないよ?

63 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/10(月) 09:44:26 ID:7TwaYy.A
>62

> >上野公園の博士王仁碑の設立経緯
>
> 上野公園にそんなのあったっけ?
> おれすぐ近くの日暮里に住んでてよくいくけど知らないよ?

これだね
ttp://www.blu.m-net.ne.jp/~tashima/c2006.html
上野公園にある「王仁(わに)博士碑」を訪ねて

64 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

65 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/10(月) 22:14:25 ID:S2Pq3Q9Y
私も上野公園には一度行ったことがあるけど、王仁の碑は確認していません。

 金秉仁: 「王仁의 「지역 영웅화」 과정에 대한 문헌사적 검토」
 『韓國史硏究』115、177-205頁、2001年

「王仁の「地域英雄化」過程に対する文献史的検討」は、水野と大石が引いて
いる論文。タイトルから漢字ハングル交じりかと思っていたのに、入手してみ
たらほとんどハングルで泣いた。hwp のファイルがネット上に落ちていたので、
そっちを見ながらなんとか読む。

水野は、「「王仁」の記録が韓国で初めて現れるのは韓致淵 (1765〜1814年)
の『海東繹史』である」とし、その記述は「寺島良安の『和漢三才図会』とい
う史書の記述をそのまま書き写したにすぎない」とする。また、「王仁が霊巌
で生まれたという記述が現れる史料は李秉延『朝鮮寰輿勝覧』(1922〜37年) で
ある (同時期に刊行された『霊巌郡誌』などの史料には「王仁」について一切
言及がない)」と、特に文献を引かずに述べている。水野はこのすぐ後に金秉仁
の論文を紹介しているが、実は前の記述も金論文に依ることが確認できた。

『海東繹史』の記述が『和漢三才図会』の引き写しなのはいいとして、それが
初出という主張は、どの程度本格的に文献を調査した結論なのか分からない。
だいたい、水野は続編の『韓vs日 「偽史ワールド」』の38頁で、

 1655年に従事官として日本に赴いた南龍翼 (1628〜92) の『扶桑録』には
 「応神天皇の代に百済による王仁の派遣があった」(中略) などと書かれてい
 る。言うまでもなく、これは『日本書紀』の記述に沿ったものである。

と書いている。これも誰かの受け売りだろうが、参考文献を明記していないの
で分からない。これが本当なら、金秉仁の主張は誤りである。議論の大勢には
影響ないけど。水野は続編を書いていて矛盾に気づかなかったのだろうか。

とりあえず南龍翼 (壺谷) の『扶桑録』を確認してみた。『大系朝鮮通信使』
第3巻に東洋文庫蔵本の影印が収録されている。これは『海行ハ載』に収めら
れたもので、活字。ざっと斜め読みしてみたが王仁に関する記述は見当たらな
かった。見落としている可能性も低くはないが、少なくとも詳細な記述はない
だろう。ただし、同じ南龍翼による『聞見別録』にはあった。「倭皇代序」と
いう項目の、「応神皇」の部分に「乙巳百濟遣王子王仁」とある。王仁を王子
と勘違いしてるっぽい。こんな感じの記述は『海東諸国紀』にもあったような
気がしたので調べてみら、応神天皇の部分に、「十五年甲辰百濟送書籍十六年
乙巳百濟王太子来」とあった。王仁に関するのは15年の条だが、王仁の名前は
出てこないが、申叔舟が参考にした書籍の中に王仁の名前が出てきた可能性は
高そう。南龍翼は、確実に王仁の名前が出てくる資料を参考にしたが、適当に
編集したために15年と16年の条を混同したのだろう。

金論文にあまり触れていない気がするが、今日はここまで。

66 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

67 名前:名無しさん 投稿日:2007/09/19(水) 15:47:35 ID:oFSJfKnA
>>62-65
行ってきました、上野公園。

確かにありました。目立たないけどすぐ見つかった。
漢文なのでよくわからないけど
皇紀二千五百九十九年に、なんとか伯爵が中心になって建立したらしい。
日本人に混じって「朝鮮代表」趙なんとか(趙洛崖?)ってのもでっかく署名してる。
その隣の「副碑」は翌年の二千六百年に林銑十郎が立てた(?のか?)
なんで二つあるのかもわからないけどそれ以上に
なんで「上野」なのかはもっとわからない。
全文ちゃんと解読すれば説明あるのかも知らんけど。

68 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

69 名前:名無しさん 投稿日:2007/12/23(日) 23:56:38 ID:j3zWdwdE
久しぶりに投稿。>>24の咬住 (李天桂) の解釈に補足。ネタ元はこれ:

Hoong Teik Toh (卓鴻澤): Materials for a Genealogy of the Niohuru
Clan: With Introductory Remarks on Manchu Onomastics (Wiesbaden:
Harrassowitz Verlag, 2005).

表題の通り『八旗満洲鈕祜祿氏通譜』の紹介と、満洲語の人名に関するちょっ
とした論考。後者は長い註釈のおかげで有り得ないぐらい読みにくい。

満洲語の文献に出てくる満洲人の人名には、支那語っぽいけど何だかよく分か
らないものがある。これに対する Hoong の主張は次の通り。支那語っぽい名
前は、先に漢字があって、それを満洲文字で転写したと思われがちだけど、そ
うとは限らないから注意が必要。それを解明するには、満洲人だけでなく、契
丹、女真、ウイグル、モンゴルの名前も参考になる。ちょっと乱暴な感じがす
るけど、この見方は新鮮。

例えば、宗室の Hooge の -ge は、歴史のあるサフィックスで、金末の契丹人
で高麗とも関係のある耶律留哥の哥と同じだと言う。元々は、トルコ・モンゴ
ル系のサフィックスで愛称を作る -ka が起源だとする。唐の玄宗が息子の李
琰に三哥と呼ばれたという記録もあるそうだ。

問題の咬住だが、-ju も古くからあるサフィックスらしく、契丹人の名前にも
見える。-ju の意味については特に述べていない。-ge 付きの名前には、対応
する -ju 付きの名前が確認できる他、満洲人の名前については、-tai, -tu
とも交代例が見られるという。「咬」字がどういう意味か、そもそも意味があ
るのか分からないままだが、女真の命名習慣に基づく名前という点は問題ない
だろう。

70 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

71 名前:名無しさん 投稿日:2008/02/17(日) 16:29:43 ID:RMeBQEPU
クマーのスレが「大きすぎて見えない」になってますが
これどういうことんまんですかね?

72 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

73 名前:デッドテック ★ 投稿日:2008/02/18(月) 21:09:01 ID:???
>>71
容量が大きいのと、業者広告多可でログが詰まっているのだと思います。。。。。。
近い内に過去ログ倉庫にHTML化して移動させて見ます。。。。。。。

74 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

75 名前:名無しさん 投稿日:2008/02/19(火) 09:09:26 ID:z/RwDx5I
>>73
500KB超えているのも原因の一つではないでしょうか。

76 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

77 名前:デッドテック ★ 投稿日:2008/02/19(火) 20:48:32 ID:???
>>75
かもしれません。。。。。

78 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

79 名前:印藤和寛 投稿日:2008/03/16(日) 14:33:37 ID:1QyxAYTY
最近知って参考にさせていただいています。色々教えられることが多くありがとうございます。
ちょっと気付いたので書き込みます。

>16 名前:名無しさん 投稿日:2005/11/05(土) 23:08:06 ID:KFx6UIVE
>三田渡をなぜか sambat gei と写している。訳編は242頁の注釈で
> 薩木巴徳盖: 満文音訳、史裁三田渡
>としている。碑文は san tiyen du とあるし、内国史院档の写しも san tiyen
>du だ。(ただし点が見えないので tiyan ととれる。)どうしてこんな妙な音訳
>になったのか謎だ。

batは固有朝鮮語で「はたけ、field」、gaeは同様に「河川の海水潮汐限界点」の意味ですから
元来sambat-gaeと呼ばれていた所を漢字地名に直して三田渡としたのでしょう。
鉄道敷設時に、京釜線の途中、支線との分岐点がhanbat(広いはたけ)と呼ばれていたのを、
漢字では大田としたのは有名ですね。

80 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

81 名前:名無しさん 投稿日:2008/03/30(日) 21:41:46 ID:CDEcoTng
test

82 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

83 名前:名無しさん 投稿日:2008/04/07(月) 23:59:44 ID:HZBb5WSs
>>79
ありがとうございます。迂闊でした。固有語の可能性は当然考えるべきでした。
「朝鮮史やるのに朝鮮語は必要ない」と普段豪語していても、こういう時困り
ますね。

ちなみに、gei 「盖」の部分を読み間違っていないかと、もう一度内国史院档
を調べてみましたが、gei だと思います。手書きで判別しにくく、男性の g
か女性の g か微妙ですが、g-a なら g-e とちがって少し離して書くはずなの
で。


あとは雑多なネタ。

>>69の Hoong は Toh の間違い。台湾の人。漢字表記は後で調べて出てきたも
ので、本には載っていない。最初名前の構造がわからず Hoong と呼んでいたら
そのまま間違えた。

-ju についてもう一つ言えば、「李満住」をどう解釈するか問題。manju が清
初以前から使われていた例として引かれることがあるけど。Toh の説が正しい
なら、「李満住」と manju は偶然の一致の可能性がある。

東京外大が論文なんかをオンラインで公開していて便利。
ttp://repository.tufs.ac.jp/

84 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

85 名前:名無しさん 投稿日:2008/05/04(日) 12:02:41 ID:Q1M3YHyQ
>>69に関する>>83の訂正にさらに訂正。卓鴻澤は、「マレーシアの華人出身、
ハーヴァード大学において James Bosson 教授の指導のもと "Tibetan
Buddhism in Ming China" により学位を取得。2005年10月から中央研究員助研
究員となっている。」とのこと。『満族史研究』5の中見立夫の文献紹介より。


図書館で現実逃避したいのに、まとまった時間が全然とれない。今回はオンラ
インで済む話。元ネタは朝鮮日報の記事。

朝鮮王朝の太祖・李成桂はモンゴル軍閥だった!?
ttp://www.chosunonline.com/article/20060905000052

李朝初期のモンゴルからの影響は、岡田英弘が概説書でさらっと触れていて、
宮紀子が書誌学っぽいところから攻めた論考があるぐらいで、日本ではまとも
な専論がないと思う。ついでに、李朝の先祖については、>>24で触れた池内宏
の古い論文があるくらい。

尹銀叔の論文をオンラインで探してみた。韓国の某サービス。検索できるし、
新し目のものはPDFも手に入ったりする。余談だが、この方面、日本は遅れす
ぎ。技術的には何の問題もないから、権利者を納得させて進めるだけだが、政
治的なところがうまくいかないのが日本。論文なんて、もともと採算の取れる
ものではないし、人に読んでもらってナンボのものなので、公開してほしい。

見つかった尹の論文を年代順に並べてみた。

* 1998: 「西渤海」とモンゴル
* 2003: クビライ・カンの中央集権化に対する東道諸王たちの対応 -"ナヤン反
乱"を中心に-
* 2004: チンギスカン東道諸王の分封地とその発展 -モンゴル汗国の創業,守成
過程の対応と係わって-
* 2006: オッチギンとチンギスカンの金国征伐戦
* 2007: オッチギン家タガチャルの活動とクビライのカアン位争奪戦
* 2007: モンゴル帝国初期帝位継承紛争 -オッチギンの軍事行動を中心に-
* 2007: ナガチュの活動と14世紀末東アジア政勢

モンゴルの東方三王家、特にオッチギン家が専門の様子。朝鮮日報の記事を読
むと、モンゴルと高麗、李氏との関係ばかりを扱っているような印象を受ける
が、そうではないらしい。元代の満洲史は、そもそも『元史』が杜撰だったり
するなど史料の制約が大きい上、研究が少なく、未だに和田清あたりを引いた
りしている。このあたりを真面目に補完してくれるのならうれしい。

韓国語はほとんど読めないので英文要旨に頼るわけだが、この英文がかなりひ
どい。ちなみに、もう一方のエルデニ・バータルはまったく検索でヒットしな
い。D 論だけ書いているとは思えないのだが。

86 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

87 名前:日語商売 ◆G2IlbonwGk 投稿日:2008/05/30(金) 18:37:59 ID:h6uldtmk
>>57
超亀レスながら

>崔官によれば、その「木田孫兵衛墓」からは「明治十四年
>甲辰四日」と読み取れると言う。

干支の書き方に引っかかったので、調べてみましたら、以下の疑問が。

・明治14年の干支は癸巳。甲辰ではありえない(明治ならば37年)。
・木田孫兵衛の生存以降の甲辰年は、古い順に慶長9年、寛文4年、享保9年、天明4年、天保15年(弘化元年)、明治37年、昭和39年。
「明治十四年」と間違えそうな年号は1つもない。「明治三十七年」を除けば「天明四年」がやや似ているか?
・甲辰を月の干支と捉えることもできるが、甲辰月は明治14年には存在しない(一番近いのが翌明治15年の3月)。
それに、月を数字を示さず干支で表記するのは極めて異様。もしや「四日」は「四月」の間違い?
・明治5→6年の太陽暦採用以降は、年に干支を付すことすら少なくなる。

つまり、「明治十四年甲辰四日」という読み取り自体に非常に重大な間違いがあるとしか考えられません。
崔官の本では「残りの碑文は薄れて判読不可」とあり、そうなると年月日の読みも怪しいでしょう。
地元の郷土史家とかでちゃんと読んでいる人はいないのでしょうか?

88 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

89 名前:名無しさん 投稿日:2008/06/14(土) 17:59:48 ID:QebGGvjI
>>87
ありがとうございます。返事が遅れてすみません。

整理のために、崔官著『文禄・慶長の役−−文学に刻まれた戦争』(1994年) の
p.220より該当部分を引用します。

 現在、大分県下毛郡山国町毛谷村 (槻木村) には、毛谷村六助 (後に貴田
 [木田、喜田] 孫兵衛と改名) の墓 (「木田孫兵衛墓」明治十四年甲辰四日、
 残りの碑文は薄れて判読不可) がある。

その続きが以下。

 そこの喜登家 (現在の家は約二百年前に建てられたという) には「享保元
 (一七一六年) 丙申七月写之」と記されている古文書「毛谷村六助畧縁起」が
 伝わり、毛谷村六助の実際の行跡について物語ってくれる。

これに関しては、

 田畑博子、「『彦山権現誓助剣』論」、『国文学 解釈と鑑賞』、第61巻5号、
 164-174頁、1996年

に以下の記述があり、別ソースから裏付けています。

 山国町の六助のお墓をまつっている月木博氏の家には、「毛谷村六助畧縁起
 写」が残っている。この巻物は、「享保元丙申七月写之」「右明治三十五年
 五月再写」とあり、墓の隣りの喜登家の物を写したものである。

田畑氏も墓の写真を掲載していますが、残念ながら碑文については触れていま
せん。一応、私も「明治十四年甲辰四日」が何かの読み間違いという可能性を
してみました。「四日」が「四月」の間違いというのはありそうです。四月が
甲辰にならない気がしましたが、新暦なら問題ないようです。対応する年が明
治の 5 * N 年とすると、明治35年3月なら、『縁起』の写しと連動していい感
じです。問題は、読み損じて「十四年」にはなりそうにないことです (丗五?)。
やはり現物を確認しないことには何ともいえませんね。

90 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

91 名前:名無しさん 投稿日:2008/06/22(日) 16:54:34 ID:xzJyKsSA
昔集めた資料から。

 園田俊介: 「北魏時代の楽浪郡と楽浪王氏」、『中央大学アジア史研究』第
 31号、1-32頁、2007年

ググったところ、著者は津島市立図書館副館長らしい。

楽浪郡で王氏と言えば、文献にも出土物にもよく出てくる有力な一族だが、こ
こでは、高句麗に滅ぼされた後の僑郡を扱っている。まず、史料の記述が断片
的な楽浪僑郡の変遷を王氏のいくつかの墓誌を使って補完し、次に北魏時代の
王氏の婚姻関係を整理している。しかし、私にとっては、議論の出発点からし
て初耳だったりする。

* 楽浪郡は313年頃に半島で消滅したあとも、朝陽からはじまって、北京、遼
 寧省義県付近、河北省満城県付近の順で移転し、最終的に廃止されたのは北
 斉時代の556年。
* 北魏の文明馮后の母や宇文泰の母が楽浪王氏であり、半島の楽浪が滅亡した
 後も (というか滅亡後こそ) 有力な一族だった。

北魏の王温墓誌 (532) で主張される楽浪王氏の出自は、周文王、太子晋を族
祖とし、太原王氏の王覇、王沈を中間の祖先となっている。楽浪への移住は、
313年 (正しくは314年) に石勒の禍にあって逃げたとあり、年代的にはかなり
下っている。というか、ちょうど楽浪郡が高句麗に滅ぼされた頃。園田氏は附
会の可能性を指摘している。

楽浪王氏といえば思い浮かぶのは、『後漢書』循吏列伝の王景にある記述。先
祖の王仲が前漢文帝の時代に琅邪郡不其県から楽浪に移ったというもの。王温
墓誌はこれとは異なる。園田氏もこれには触れていない。楽浪王氏に複数の系
統があるのか、単に後世に先祖を偽ったのかわからない。

註にもあるように、もうひとつ思い浮かぶのは『新撰姓氏録』の記述。右京諸
蕃上の山田宿禰が周霊王の太子晋を祖とし、これとは別に、河内国諸蕃の山田
宿禰が魏の司空王昶を祖とある。王昶は晋の子孫を称するので、この二つは実
は同じ伝承と言える。王温墓誌の記述と接点があるようで興味深い。

92 名前:鄭聲之 投稿日:2008/06/22(日) 22:49:49 ID:NWIWUO5Q
>>91
お、これは興味深いですねー。さっそく保存しますた

楽浪王氏ってのは山東王氏(つまり戦国斉の田氏の分家)から分出したんでしょうが
なぜ太子晋に付会する必要があったのか、ちょっと謎ですね

93 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

94 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/21(月) 08:32:13 ID:VTvIpJYs
そろそろこのスレも放棄した方が良い様に思うんですが、どうでしょうか?

王公族の英語での呼び方について前から気になっていて、英語の資料を探して
いた。まず外務省に目をつけたが収穫なし。最近、朝鮮総督府
(Government-General of Chôsen) が総監府時代から出している英語の年次報告
が使えることに気付いた。

Annual Report on Reforms and Progress in Chosen (Korea)

1910-11年版の Appendix A に 王公族の根拠となった併合条約が載っている。

Article III. His Majesty the Emperor of Japan will accord to Their
Majesties the Emperor and ex-Emperor and His Imperial Highness the
Crown Prince of Korea and Their Consorts and Heirs such titles,
dignity and honour as are appropriate to Their respective ranks, and
sufficient annual grants will be made for the maintenance of such
titles, dignity and honour.

Article IV. His Majesty the Emperor of Japan will also accord
appropriate honour and treatment to the members of the Imperial House
of Korea and their heirs, other than those mentioned in the preceding
Article, and the funds necessary for the maintenance of such honour
and treatment will be granted.

さらに、八月二十九日付けの寺内正毅総監の諭告が Appendix E:
Proclamation of Annexation by Resident-General (Issued on August 29,
1910.) として載っている。関連する部分は以下の通り。

Hereafter the Emperor of Korea shall be known by the title of His
Imperial Highness Yi Wang (Prince Yi), and the Crown Prince shall be
called Prince Heir, so that the hereditary title shall endure forever,
while the Ex-Emperor shall be given the title of His Imperial Highness
shall receive the treatment of Princes of the Blood and Their annual
grants shall be as munificient and the same in amount as heretofore.

munificient は munificence の誤りと思われる。アジア歴史資料センターで拾っ
た原文は以下の通り。

自今前韓国ノ皇帝陛下ハ昌徳宮李王殿下ト称セラレ皇太子ハ王世子トナリテ後
嗣長ヘニ相継承シ萬世無窮タルヘク太皇帝陛下ハ徳寿宮李太王殿下ト称セラレ
竝ニ皇族ノ礼遇ヲ賜ハリ其ノ秩俸ノ豊厚ナル皇位ニ在スノ時ト異ルナカルヘシ

見比べてみると、「昌徳宮」に対応する文言が英文にないなど、あまり忠実な
訳ではない。条約じゃないからいい加減なのかもしれない。注目すべきは、併
合後の敬称が His Imperial Highness となっていること。漢語だと皇帝から王
へ明白な格下げだけど、英文では、Majesty から Highness へと、君主じゃな
くなっただけで、Imperial が維持されている。

95 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/21(月) 08:33:28 ID:VTvIpJYs
本文の I. General の 2. Annexation の D. Treatment of Ex-Imperial
Family of Korea (pp.17-18) にも関連する記述があるので写してみる。

In connection with the Annexation, His Majesty the Emperor of Japan,
being extremely anxious to promote the prosperity of the ex-Imperial
Family of Korea and to accord due and appropriate honours to the
Sovereign of that country and his relatives, other Imperial rescripts
were promulgated on Annexation day, by which the Korean Emperor, being
thereafter invested as Ō, (Wang in Korean) "Prince", is to be known by
the name of the Li-O (or Yi Wang in Korean) of the /Shotoku/ Palace;
and the Crown Prince is to be called Ōseishi or "Prince Heir," so that
the hereditary title should endure forever; while the Emperor Father
is to be given the title of Tai-Ō, r "Father Prince", being hereafter
known by the name of the Li Tai-O (Yi Tai-Wang) of the /Tokusu/
Palace. Their consorts are to be given the titles, respectively, of
Princess, Princess Heir, and Grand Princess. The aforesaid Princes and
Princesses are also to receive the title of "Imperial Highness" and
the treatment of Imperial Princes or Princesses of the Blood. Their
annual grants are to be sufficient and the same as hitherto, the total
amount being 1,500,000 /yen/, defrayed from the annual budget of the
Government-General of Korea. Members of the ex-Imperial Family of
Korea other than those mentioned above, such as a step brother of
Prince Li or his uncle, are also to be treated as Imperial Princes or
Princesses of the Blood, receiving the title of "Imperial Highness";
and for these two relatives of Prince Li, a grant of 840,000 /yen/ is
to be given out of the Imperial Donation Fund respectively for the
maintenance of their households.

With regards to the management of the household of Prince Li's
family. an organic regulation of the Household Office was promulgated
by a decree of the Imperial Household Department of Japan, issued in
December 1910, by while Prince Li's Household Office was brought under
the supervision of the Minister of the Imperial Household
Department. The fixed number of the Household Office was specified as
273, about half the number of those employed in the former Imperial
Household Department of Korea. A reduction of about 220,000 /yen/ has
been made in the expenses of Prince Li's Household on account of the
diminution of the employees and the abolition of numerous court
ceremonies, so that the sum of 1,500,000 /yen/, designated as the
annual grant for Prince Li's Household, should be quite a liberal
allowance as compared with that previously granted. In order to
maintain uniform control of the administration of Korea, the business
of Prince Li's Household Office and its employees was brought under
the jurisdiction of the Governor-General of /Chosen/.

96 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/21(月) 08:34:00 ID:VTvIpJYs
// で囲った部分はイタリック。誤植が一箇所。Emperor が Fmperor となって
いる。

こちらもやはり Imperial Prince となっている。

1911-12年版には王公族に関する節がなく、わずかに Introduciton で言及され
るのみ。ここでの記述を見ると Their Highnesses Prince /Li/ Junior and
Prince /Li/ Senior と the Heir Presumptive となっていて Imperial の文字
がない。

あと、古い Japan Yearbook も若干参考になる。控えをとってないので以下は
うろ覚え。要確認。初期は王公族は Korea の章に記述されていたが、後には皇
族に続いて説明されている。日本語と朝鮮語の読みが混在していたのが、最終
的には日本語読みで統一される。後期には His Highness を使っており、
Imperial の文字はない。王と公は区別されてなかったと思う。

97 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

98 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/26(土) 22:23:09 ID:tujeTlC2
The Japan Year Book から王公族関連の記述。全号見たわけじゃないので、目
ぼしい変化を見つけたのだけ。

1921-22年版では Chapter XXXVI Chosen (Korea) の The Royal House of
Korea という節に記述してある。短いので全部写す。

The former Emperor of Korea is now known by the title of His Imperial
Highness Yi Wang (Prince Yi), and Prince Heir. Their Highnesses
receive the treatment of Princes of the Blood and their annual grants
remain same as before the annexation, i.e. en 1,500,000. In April 1920
the Prince Heir married in Tokyo Princess Masako, daughter of Prince
Nashimoto.

王公族とは関係ないけど、関東大震災前なのに、Chapter III に
Earthquakes, Volcanoes and Mineral Springs が置かれていて、やたら地震に
詳しいのに驚いた。

続いて1930年版。Chapter VI Imperial Court に記述されて、皇族と一体化し
ている。Korea の章では言及なし。皇族に続いて、Royal House of Korea とい
う節が置かれている。ただし Imperial の文字がない。固有名詞は、Yi,
Prince Gin, Princess Masako, Princess Im, Princess Tokukei, Prince Yi
Kang, the late Grand Prince Yi など一貫性がない。

そのすぐ後に皇室典範 (The Imperial House Law) が翻訳してある。「皇族女
子ハ王族又ハ公族ニ嫁スルコトヲ得」とした増補 (Additional Rule) では以下
のように、「王族」「公族」を翻訳しないまま。

A female member of the Imperial Family can marry a male member of
Ozoku or Kozoku (former Royal Family of Korea).

1943-44年版では、The Imperial Court が冒頭で置かれ、章番号を付けずに特
別扱いされている。大東亜戦争に割くページが多くてまさに戦時体制。

皇族に対しては H.I.M. と H.I.H. が律儀に付けられている。皇族に続いて
Royal House of Chosen が説明されている。こちらは H.H. でちゃんと差をつ
けている。項目が立っているのは、H.H. Prince Ri (Gin), H.H. Princess Ri
(Masako), H.H. Princess In, H.H. Prince Ri (Ken), H.H. Princess Ri
(Yoshiko), H.H. Prince Ri (Ko), H.H. Prince Ri (Gu), H.H. Princess Ri
(Sanshu), H.H. Princess Ri, H.H. Princess Kin。日本語読みに統一されてい
る。脚注で以下のように断っている。

The house name of the Chosen Royality is pronounced "Yi" in Chosen,
but here it is given as "Ri" according to Nipponese pronunciation.

最後のの二人は高宗の側室。李氏、金氏と朝鮮の姓になっている。一方、
Princess Ri (Sanshu) は、侯爵朴泳孝の孫の賛珠だが、Boku ではなく Ri と
なっている。王公家軌範には特に姓の規定はないけど。

99 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

100 名前:デッドテック ★ 投稿日:2008/07/28(月) 05:36:49 ID:???
テストします。。。。。。

101 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

102 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

103 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

104 名前:名無しさん 投稿日:2008/07/30(水) 02:36:14 ID:x9yewLMI
>>94
> そろそろこのスレも放棄した方が良い様に思うんですが、どうでしょうか?
「あぼーん」が多いからですか?

105 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

106 名前:デッドテック ★ 投稿日:2008/07/31(木) 12:37:10 ID:???
>>94,104
逆引き出来ないIPの様ですが。。。。。
もう少し頑張ってみます。。。。。

107 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

108 名前:名無しさん 投稿日:2008/08/02(土) 08:42:26 ID:OkiIdZhE
>>106
ありがとうございます。
お言葉に甘えてもう少し続けさせていただきます。

109 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

110 名前:デッドテック ★ 投稿日:2008/08/02(土) 18:11:37 ID:???
大量に透明あぼーんをしたので。。。。。。。
ログの再取得をお願いいたします。。。。。。
ご迷惑おかけしてすみませんでした。。。。。

111 名前:あぼーん 投稿日:あぼーん
あぼーん

120 KB
掲示板に戻る 全部 1- 101-111 前32 新着レス 最新50
 名前: コマンド/メール(省略可):
reda.cgi soutokufu version 2.05k3 2006/04/17