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歴史系総合

44 名前:名無しさん 投稿日:2007/02/28(水) 20:42:16 ID:Rp3cnl6k
>>44
すみません。文章が下手で誤解を招いているような気がします。42で蚩尤が一
般的でないということを二回書いていますが、一度目は、日本での知名度が今
ひとつだから、SAPIOとかその手の雑誌には載らないだろうという意味です。
二度目のは、神話として知られているかは別として、蚩尤に対する祭祀がどの
程度行われていたのか分からないという意味です。


祭祀には全然詳しくないが、別件で調べていた
 桑野栄治、「李朝初期の祀典を通じてみた檀君祭祀」、『朝鮮学報』第14輯、
 57-101頁、1959年
によると、李朝の成宗朝に『国朝五礼儀』という書物が上梓され、祀典が完成
した。その『国朝五礼儀』の補助書として編纂された『国朝五礼序例』によれ
ば、李朝初期の祭祀には、大祀、中祀、小祀の三段階があり、例えば社稷や宗
廟は大祀に区分される。これ自体は唐の制度そのままだと思う。小祀の中に禡
祭があり、禡祭壇は王都の東北郊にあったとあるが、この禡祭こそが蚩尤のこ
と。禡という見慣れない文字は、文字通り軍神を祭ることらしい。なお、「大
祀、中祀が、おおむね国王親祭が原則とされているのに対して、例外なく各級
の官員が主宰するように定められている」とある。

いちおう支那の劣化コピーで蚩尤の祭祀は行っているけど、数ある神の一人に
過ぎないわけで、広く朝鮮人の信仰を集めていたということはないはず。

そういえば、青丘は朝鮮の別称として使われる。どういう由来かは知らないけ
ど。これもこじつけに使われたのだろうか。

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