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歴史系総合
- 5 名前:名無しさん 投稿日:2005/09/14(水) 23:49:57 ID:H9UqA6bk
- 檀君系新興宗教について、
村山智順、『朝鮮の類似宗教』、1935年
から引用します。
これは、朝鮮総督府嘱託として作成した調査資料で、
檀君系については、「第五章 崇神系類似宗教團體」の 444-447 ページに記載があります。
例によって再現できるところだけ旧字です。
二、檀君教 (京畿道始興郡東面始興里松洞)
本教はもと檀君の託宣を得たと云ふ白峯なる者に依つて、明治三十七年頃か
ら布教せられたものであつたが、その後京城社稷洞に移り、轉々として教名を
大倧教と稱するに及び、幹部數名は之と分立して明治四十三年九月「檀君教」
と稱せしに創まる。檀君は三國遺事に記載する天降傳說に據つて、爾来朝鮮の
始祖と目さられて居るので、本教の趣旨がこの始祖神を崇拜することは、朝鮮
民族として報本反始の義に協ひ、この尊信を介して人々相互に融和し以て朝鮮
人の使命を全ふすべしと云ふにあつた。從つて創立當時は相當の教徒を得、教
勢も亦やゝ見るべき見るべきものがあつたが、その後幹部間の内訌常に絕えず、
教勢次第に衰退したので、或は教勢擴張或は財政維持の手段として、巫女組合
組織其他の計劃を立て、以てその復興を計るところがあつたが、其の効なく、
現在は殆んど有名無實の有樣である。
猶ほ本教は江原・平安道の各地に支部を設置したが、江原道伊川の支部は
「三聖教」として分立し、平壌の支部は「尊神教」從がその崇神の同一なるよ
り大正六年之と合併し、之が支部となつて布教に從事したが振はず、順川の支
部は教長車風夏なる者祭祀料を貯蓄して百五十圓に達するや、内五十圓を投じ
て檀君教殿を建て、後昭和七年豊山面老文里に支所を設けたが教勢依然振はず、
孟山の支部は昭和元年韓達富なる者京城本部の命を受け、親族八名を入教せし
め自宅を支部として布教に努めたる結果、昭和八年末には約六十名の教徒を得
たが、この教徒數もまた表面的のもので有名無實の有樣である。成川支部は大
正七年成川郡三コ面吳N健なる者、自宅に拜天所を設けて布教擴張を計つたが
意の如くならず、教勢不振、遂に昭和三年この拜天所を廢止し有名無實に陷つ
て居る。
教名 檀君教
布教所 五
地區 六
教從 男 四一
女 一〇
計 五一
三、大倧教 (咸鏡南道永興郡耀コ面北坪里)
本教は明治二十六年頃永興郡耀コ面北坪里の人韓明充なる者、平安南道孟山
郡邑内面新里金廉白に就きて神教を學び、六年間修行の後明治三十二年歸宅し、
自ら教長となつて布教を開始したもので約三十名の教從を得、三月十五日、十
月三日の大祭日及び毎日曜日毎に教從を集めて禮拜を勤行して居た。處がこの
教の儀節は飮酒の上舞踏するものであつた爲めに、一部から神教にあらずして
巫教えなりとて擯斥せられ脫教者を出すに至るや、大正五年施教師李應台を、
當時京城社稷洞に移住した檀君教改め大倧教本司に遣はし、一ヶ月間大倧教を
修めさせ、斯教と連絡を取りて斯教の祭神檀君の肖像寫眞を得、これを禮拜堂
に安置し爾来「大倧教」と稱したものである。翌大正六年大倧教幹部の來つて
同地に教堂三棟を建築するに及び當時四十二名の教勢漸次揄チして百三十名に
達したが、大正十三年頃より漸く衰頽し昭和五年頃には自然に消滅してしまつ
た。
本教の教旨は支那創世の三王たる天皇氏・人皇氏・地皇氏及び朝鮮の開闢主
たる檀君の四神を祀り、尙ほ教徒各自の祖先をも併祀して禮拜尊崇し、その偉
コをしのびて之に感謝し以て精神修養及び生活の開展を圖らしむとするもので
あつた。
四、三聖教 (江原道伊川郡伊川面塔里八九)
本教は江原道伊川郡伊川面塔里の秦龍錫なる者、從來侍天教を信仰して居た
が、その後崔南善の檀君に關する論文を讀むに及びて檀君崇拜に轉じ、昭和五
年二月京城の檀君教に入教、その教主に就きてその教理を聞き、同五月檀君教
則に修正を加え、崇神を檀君・桓雄・桓因の三聖となし、この三聖を念侍して
身心の修養をなす時は幸福に惠まるべしとなす一派を創設し、之を「三聖教」
と名づけ、自ら教主となつて布教に從事したるものである。處が教從七名を得
たのみにて振はず昭和九年十一月遂に解體してしまつた。
教名 三聖教
布教所 一
地區 一
教從 男 五
女 二
計 七
- 6 名前:名無しさん 投稿日:2005/09/15(木) 00:07:07 ID:zUf3Huc2
- どんな組織でも仲間割れするところはやはりウリナラサラムです。しかし自然
消滅という村山の説明は、日帝の過酷な弾圧を受けたとするウリナラの公式見
解と随分異なります。その一例を下に載せます。出てくる固有名詞も一致する
ことろが少ないし、再調査が必要そうです。
檀君信仰
ttp://kr.dic.yahoo.com/search/enc/result.html?pk=12345400
大倧教
純粋な檀君宗団の中ひとつの大倧教は日帝強制占領期間の下羅浮ネどによって
組職された。羅浮ヘ日帝の教団弾圧を避けて布教本部を満洲地方に移したし、
宗教活動といっしょに民族運動を展開した。8・15光復と一緒に教団はソウル
に移して来たし、ひととき韓国の6大宗教の中一つで教勢が成長したが現在は
弱い。教経で《三一神誥》がある。
檀君教
羅浮ニ一緒に檀君教を立てた鄭薫謨は檀君教を大倧教で直す時これに反対して
檀君教名を固守すると言いながら大倧教と割れた。その後檀君教は朴泳孝と結
託、朝鮮総督府の公認を受けたりした。しかし鄭薫謨の死亡後活動はほとんど
なかった。
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