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歴史系総合
- 91 名前:名無しさん 投稿日:2008/06/22(日) 16:54:34 ID:xzJyKsSA
- 昔集めた資料から。
園田俊介: 「北魏時代の楽浪郡と楽浪王氏」、『中央大学アジア史研究』第
31号、1-32頁、2007年
ググったところ、著者は津島市立図書館副館長らしい。
楽浪郡で王氏と言えば、文献にも出土物にもよく出てくる有力な一族だが、こ
こでは、高句麗に滅ぼされた後の僑郡を扱っている。まず、史料の記述が断片
的な楽浪僑郡の変遷を王氏のいくつかの墓誌を使って補完し、次に北魏時代の
王氏の婚姻関係を整理している。しかし、私にとっては、議論の出発点からし
て初耳だったりする。
* 楽浪郡は313年頃に半島で消滅したあとも、朝陽からはじまって、北京、遼
寧省義県付近、河北省満城県付近の順で移転し、最終的に廃止されたのは北
斉時代の556年。
* 北魏の文明馮后の母や宇文泰の母が楽浪王氏であり、半島の楽浪が滅亡した
後も (というか滅亡後こそ) 有力な一族だった。
北魏の王温墓誌 (532) で主張される楽浪王氏の出自は、周文王、太子晋を族
祖とし、太原王氏の王覇、王沈を中間の祖先となっている。楽浪への移住は、
313年 (正しくは314年) に石勒の禍にあって逃げたとあり、年代的にはかなり
下っている。というか、ちょうど楽浪郡が高句麗に滅ぼされた頃。園田氏は附
会の可能性を指摘している。
楽浪王氏といえば思い浮かぶのは、『後漢書』循吏列伝の王景にある記述。先
祖の王仲が前漢文帝の時代に琅邪郡不其県から楽浪に移ったというもの。王温
墓誌はこれとは異なる。園田氏もこれには触れていない。楽浪王氏に複数の系
統があるのか、単に後世に先祖を偽ったのかわからない。
註にもあるように、もうひとつ思い浮かぶのは『新撰姓氏録』の記述。右京諸
蕃上の山田宿禰が周霊王の太子晋を祖とし、これとは別に、河内国諸蕃の山田
宿禰が魏の司空王昶を祖とある。王昶は晋の子孫を称するので、この二つは実
は同じ伝承と言える。王温墓誌の記述と接点があるようで興味深い。
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